「生きてて楽しそうね」「そうね。楽しいよ」

よりよく生きるために
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先日の、妻と僕の会話です。

「最近、活き活きとしてるよね。生きてて楽しそうね」

以前の僕だったら、どう答えただろう?

「楽しそうにしてるけど、色々と大変なんだよ!」とか、「なんだ、楽しそうにしてたら悪いのかよ!」などと言えやしないけど心の中で思っていたかも。で、

「別に、、」などと言ってしまっていたかもしれない。

そこに、「そうね、楽しいよ」と言えるようになったのは、自分の心の状態が良い状態を保てている証拠なのかもしれません。

以前、こんな記事をかきました。

何度も記事で取り上げていますが、僕は”アダルトチルドレン”です。

子供のころから、「親からどう思われるか」に縛られて「言いたいこと」「欲しいもの」を主張することを「自ら禁じ」て生きてきました。両親ともに経済的に厳しい片親育ちで、「苦労して生きることが正しい道」だと信じ込んできましたので、「楽しく生きる」ということを受け入れることがなかなかできなかった。いや、自分がそういう状態だったと気づくまで、「考えたことすらなかった」というのが実際のところです。

だから、以前の僕ならば、妻に「楽しそうに生きている」と言われると「楽してなんかいない!」とか、「苦労してないわけじゃない!」「いけないことなんかしていない!」って、無意識に反発しただろうなぁと思うんです。

そう、「楽しく、幸せに生きてはダメなんだ!」と自ら不幸を招き寄せていた。そんな感じだと思います。

幼いころからの「思考の癖」もそうですが、それと合わさって「幸せに、楽しく生きる」ことが「怖い」という恐怖感もあったかもしれません。今が「幸せ」であれば、今度はいつか「不幸な」状態や時期がやってくる。「浮かれている場合ではないぞ!備えろ!警戒しろ!こんな状態はすぐに不幸な状態にとってかわられるに違いない!」そんな風に脳が「用心!用心!」と喚いていたのかもしれません。

そうして、「今、幸せや」と口に出してしまえば、そこから何か悪いことが起きるような気がして、それで「幸せ」が終わってしまうような気がして、怖がっていた。そんな風にも思います。

そんな自分を、この15年間一番近くで見てきた妻が、僕を見て「なんだか最近、活き活きしてる。毎日が楽しそうよ」と感じるようになったということ。そして、それを素直に受け止めることが出来るようになったこと。

”すなお”に、喜びたいと思います。

 

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