「事実」はどうでもいい

「その後」のお話し
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最近は、こちらから喧嘩を吹っ掛けることはほとんどなく、喧嘩になるときはほとんど一方的に向こうから、である。

こちらも、攻撃されないように 言動や行動に気を遣っているので、いきおい、妻からの攻撃は「理不尽」なものになりがちだ。

以前だったら、 向こうの言い分が事実でなければ、こちらも感情的になり「事実はこうだろ!」と相手をねじ伏せようと応戦していた。

だが、最近はそれはやらなくなった。

向こうにとっては、「事実」などどうでもよくて、「私がこんなに嫌な気持ちになっているのよ!」「私の気持ちを分かってよ!」でしかないのだ。

そんな相手に「事実」を突き付けたところで、火に油を注ぐことになるだけで、なんの効果もない。

だから最近は「あなたが嫌な気分にならないためには、どうすれば良いのか?」の解決策を見出して提示し、「これで文句ないでしょ?」で切り上げるようにしている。

そんなの、良くない、という批判は勘弁願いたい。ここまで10年以上、ぶつかり合って「自分を守るため」にはこうするしかない、というところに達したのだから。

もちろん、きちんと話合って、お互いに理解を深める方が良いことはわかっている。

だが、それは「相手にも話を聞く”耳”がある」状態でのことだ。

事実も事実として受け止められず「全部私の言うことを聞け!」的な状態の人間と、組み合って話をしても、何も生まれない。

いつか、本人が「あ、私このままではやばい」と思わない限り、無理だな。

果たして、そんな日が来るのかな? 

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