【レス、克服への道】子供の頃に封印した「自分」の行方(1)

「レス」の克服
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僕は子供の頃から、時々不思議な感覚にとらわれることがあった。

何をするともなく、ボーとしていると「今見えているものは現実なんだろうか」と、疑念のようなものが湧いてくるのだ。それは小学校低学年から始まり、社会人になるまで続いた。

子供の頃から、家族の前を含め人前では「良い子」を無意識に演じている自分がいた。だが根っから真面目、という訳ではない。見た目が真面目に見えるから周囲は「すごく真面目」と捉えていたようだが、実際には快楽に弱いし、むっつりスケベだし、虚栄心も強い。意志が弱いので人が見ているところでは頑張るが、人が見てないとダメ。でも、不思議と勉強はできたから「ダメなやつ」認定を受けることはない。そんな子だった。

話は変わるが、僕の父は戦時中生まれで、祖父を戦争で亡くし病気がちな祖母に代わって小学校の頃から下の兄弟の世話をしなければならない環境で育った。弟(叔父)の弁当を詰めると自分の分が無く昼は何も食べずに我慢する、そんな毎日を過ごしていた、という。勉強は常にクラスでトップだったが、経済的な事情から中学を出て職人として働き始め、叔父が自活するまで養育した後、母と結婚した。父は子供のころから「子供らしく振る舞う」ことが許されなかった。とにかく早く、精神的にも経済的にも自立することが求められた。

そんな過酷な時代を生きてきた父だが、決して悪い父親ではない。いや、それどころか子煩悩で素晴らしい父親だと思う。だからこそ、僕は自分が自分を抑圧していたことに、いい大人になるまで気付かなかったのだが。

末っ子の僕は、二人の姉から少し歳が離れていることもあり、姉たちと一緒にいるよりも両親の側にいることが多い上に、両親の話を良くも悪くも「真剣に」聞く子だったようで、よく両親の子供の頃の苦労話を聞かされた。繰り返し語られる父や母の子供の頃の「ひもじく」「貧しく」「切ない自己犠牲」に溢れた思い出。それらは気付かないうちに、僕の中で「ひもじさ」や「お金」への恐怖、「自己犠牲」の美化、に繋がっていったのだろう。

父は、基本的に優しいのだが、時に自分の子供の「子供らしさ」を認めることが出来ない部分があった。印象に残っている出来事がある。小学校3年だった僕が「歴史の漫画が欲しい」と言って、小遣いで買おうと手にとったとき、「そんな子供みたいな本!」と言って、父が買ってくれたのは大人用の歴史書だった。いつしか、僕は無意識のうちに、子供らしい行動を封印するようになっていった。

こうして、「いつも周囲の目を気にして」子供らしさを封印し、一見真面目だが中身は「そうでもない」僕は、その自己矛盾をも封印して大人になっていったのだが、それは自分に対して強い「抑圧」を強いることであった(のだろう。無意識だから分からない)。冒頭の、「これは現実か?」という疑念も、そういう中で出てきたものかもしれない。「本当の僕は、こうじゃない」と。

一見、真面目で勉強ができ、大人受けの良い僕は、しかし常に「周りが望んでいる」回答をする「自分のない」人間だった。「何がしたい?」とか、「何が食べたい?」とか、そんな簡単な「Want」ですら口にできない。自分が実際に何を望んでいるのかよりも、無意識に「相手が望む答え」を探して答えようとする。「やってみたいなぁ」と思うことがあっても、「どう思われるか」と天秤にかけて、「あれはお金がかかるから」とか言って飲み込んでしまう。

抑圧する必要など、全くないのに、知らず知らずのうちに自分を抑圧してがんじがらめにした僕は、いわゆる「アダルトチルドレン」だ。だが、「アダルトチルドレンは親や家庭環境が悪かったことが原因でなる」という思い込みがあり、まさか自分にそんな傾向があるなんて、考えもしなかったのだ。妻との確執、職場でのパワハラなどでボロボロになり、自分自身を真剣に見つめ直すまでは。。。

 

つづく

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