自分と、相手と、現実と。

「レス」の克服
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夫婦の「性」の問題で悩むようになって、それをほぼ克服した今に至るまで、過去の自分が持っていた「思い込み」をかなり削ぎ落してきたなぁ、と思います。

思えば、この問題で一番揉めていた頃の自分は、”自分”のことも、”相手”のことも、そしてそれらを踏まえた”現実”も、見えていなかったし、見ようともしていなかった。とにかく、「夫婦とはこうあるべき!」という思い込みと、現実のそれとのズレにイライラ、イライラしながら生きていました。

当時、妻と二人の時間は、ラブラブな雰囲気であるべきなんだ!と思っていて、でも妻は携帯ゲームをしたり、仕事の段取りを考えたりと全くそんな雰囲気がない。こちらの話もまともには聞いてくれないし、「この人と一緒じゃ、自分のなりたい夫婦にはなれない!」って、いつも嘆いていました。

でも、じゃぁ自分がいつもラブラブな雰囲気で居たかったのか、っていうと、本当はそうでもなかった、というのが正直なところ。そして妻もそれはおんなじ。だから現実もそうなっている、ってだけのこと。

最近では、お互いがお互いにしたいことをする、って感じになっていて、それでおかしな雰囲気になることはあまりない。

セ○○○についても、当時僕は1週間に1回の頻度を希望していました。でも、今となっては月に1~2回でも大丈夫だった。そして、妻の「欲しくなる」頻度は、2~3月に1回くらい。

回数に拘ってしまっていたのは、結婚しているのに自分で「出す」という行為を恥ずかしいことだとか、虚しいことだとか、そんな風な思い込みに縛られていたから。回数が少ないのは夫婦としておかしい、という思い込みが頭を占めていたから。

やはり、自分についても、相手についても、そして現実についてもきちんと向き合う、ということが出来ていなかった。

もちろん、自分にきちんと向き合って、「毎日でもしたい!」と言うような方もいらっしゃると思います。それはそれで仕方のないこと。否定する必要はない。

でも、今主張していることが、本来自分も欲していないことなのであれば、それでいがみ合うのは勿体ないこと。

ちょっと立ち止まって、考えて見てもいいのかもしれません。

 

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