「性のうらみ」は、消えてなくなる訳ではない

「レス」の克服
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工事も佳境に入り、気付けば10月も終わり。

先日、お伝えしたとおり、更新が飛び飛びになっていますが、僕自身は至って健康、至って元気に仕事に勤しんでおります。

さて。

先日、「今後の人生の時間」について考えたことを書きましたが、それに関連して。

このブログを読んでいただいている方々で、セックスレスの問題で苦しんでいる方の多くは「したいのに出来ない≒拒否される側」の方だと推測しますので、今日の内容をここに書いても、あまり意味のないことなのかなぁ、とは思いますが。

「したくない側≒拒否する側」の方の中には、「そのうち、歳をとったらセックスできなくなって、そうしたらこの問題は解決する」という風に思っている人が多いような気がするのですが。。

拒否される側の立場から言うと、「性の恨み」は消えてなくなる訳ではない、と思ってます。

確かに、「諦め」という形で、セックスを求めないようになり、その問題で衝突することは少なくなる、もしくは無くなるでしょう。

しかし、「あのとき、自分の苦しみに寄り添ってくれなかった。向き合ってくれなかった。一方的に自分が我慢させられた」という「恨み」は、薄まることはあっても、残り続けます。

で、それってセックスなどとは違う部分に出てきたりするんじゃないかな、と思うんですよね。

今、僕が妻に対して愛情を感じられなくなっていること、などもその一つの形なのかもしれません。「あのとき、”あなたの苦しみは私には関係ない”って言った。この人は、俺をそんな風に扱った」という恨みのような感情は、やはりずっと自分の中にあるんですよね。

拒否する側の方に、無理にセックスに応じろ!などと言いたいわけでは決してないのですが、出来ないなりに、その問題から目を逸らさずに、相手と問題に向き合う努力はして欲しい。相手も何とかしようと努力している、という「向き合う姿勢」さえあれば、拒否される側の多くの方は、例え行為に結び付かなくても、納得することが出来るんじゃないかな。

怖いのは、「食べ物の恨み」だけではない。「性の恨み」も十分に怖い。それを知って欲しいな、と思います。

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