以前、今よりもずっと頻繁に、妻とセックスのことで喧嘩をしていた頃。
僕は「セックスさえできれば、夫婦間の問題は解決する」と本気で思っていました。
もともと、夫婦仲は悪くなくて、セックスが出来ないから、揉めているんだ。そういう気持ちだったのです。
その後、自分の希望通りのタイミングや、頻度でセックスが得られなくても、怒りを爆発させないようにセルフカウンセリングをしたり、自分の気持ちをコントロールしようとするようになり、時々、妻もセックスに応じてくれるようになったけれど。
結局、僕の妻に対する不満の度合いは、それほど変わっていません。
「セックスさえあれば、、、」というのは、視野が狭まっていたというだけで、実際には、僕は他にも妻に対して不満を持っている、ということだと思います。
「話を聞いてくれない」とか、「自分のことを大事にしてくれない、尊重してくれない」ことへの不満がもともとベースとしてあって、「セックスをさせてくれない」「希望通りのセックスに応じてくれない」という不満は、一番目立つ位置にあっただけ。分かりやすかっただけ。
あの頃に、妻との間でセックスが納得いく感じで出来ていたとしたら。それで、不満を感じなかったのだろうか。
確かに、納得いくセックスを出来ていない今に比べれば、少しはマシだったかもしれない。でも、不満がゼロになったか、と問われれば、それは違う気がする。
それでも、不満を言っていたかもしれない。
根本的な不満というのは、簡単には拭いきれないもの。
本当は、他にある不満を、自分にとって分かりやすい「セックスの不満」という形に丸め込んで、相手も、そして自分をも、納得させようとしている。
そういうこと、なのかもしれません。
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