動物行動学の観点から男女の問題を考える意味

「レス」の克服
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一昨日、動物行動学の観点から男女の問題を考えることについて、少しご紹介しました。

このお話をすると、「人間は動物とは違うんだよ!」とか、「だからって本能のとおりに生きるのは、違う!」という「怒り」を感じられる方もいらっしゃると思います。

もっともな事です。それも、正しい、と思う。

僕は、現状の「セックスをしていいのは、結婚時に決めた相手と1対1で、期間は死ぬまで」という婚姻制度は、人間の「性」の特性から考えると、とても無理のある制度だ、とは思っています。思っていますが、「じゃぁどうすればいいと思う?」という問いに答えを持っていない。

だから、こういう考え方もあるんですよ、のご紹介をするにとどめるしかない。

以前にも、少しご紹介しましたが、人間の性の営みというのは、基本は「乱婚型」。その時々で相手を変えながら、子孫の繁栄を図っていくというもの。綺麗に言えばそうですが、平たく言えば、「欲すれば、誰とでもする」というもの。

それが、人間が今の人間に近い存在になった約1万年前から、日本ではごく最近(地方によっては戦時中まで)続いていた、男女の性の営みのスタイル。

これを、我々の祖先は1万年も繰り返して、今の僕らがいる訳です。

「今の制度がこうだから!」というだけで、わずか数十年程度、明治以降としても百数十年程度という短い期間で、根本が変わる訳がない。

根本にあるのは、「男は一人でも多くの女と交わりたい。女は少しでも”いい男”と交わりたい」という本能。

そういうものが我々の中にあるのだ、という前提を持ったうえで、今の婚姻制度と欲求とを、どうすり合わせていくのか。

そう考えないと、無理に無理を重ねることになるよなぁ、、、と思うのです。

人間という動物の性の営みは、「つがいになったら、死ぬまで相手を変えない」という風にプログラミングされていません。だから婚外の関係に憧れてしまう、、とか、他の人とエッチしたくなる、、なんていうのはある意味仕方がないこと。

それを認めた上で、自分自身が何を大事にしていきたいのか、ということを考えて、それに沿って行動する。

それが、一番自然に近い形なのかなぁ、、、と思います。

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