「射精がゴールではない」という安心感。

真面目な”性”の話
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一昨昨日(さきおととい)の記事の、続きのような内容ですが。

男が「射精すること」を、セックスの「ゴール」として考えていると、男は何が何でも行為をしないと気が済まない、という状態になってしまいます。

でも、女性の側は例えホテルの部屋で二人きりになったとしても、「くっついて話ができれば満足」することもある。

セックスする気満々で部屋に入ったけれど「やっぱり今日はしなくてもいいかな」となることだって。

「射精がゴール」と考えていたら、男は怒ります。「その気にさせといて、何だよ!」と。

だから、ほとんどの女性は「あ、やっぱり今日はしなくても、、、」と感じても、そのままお付き合いして最後まですることになる。

それが悪い、という訳ではありません。それでも二人が満足できれば全然かまわないと思う。

でも、「射精がゴール」で無くなれば、お互いが満足する形で終わることが出来る。

多くの男性にとって「射精をゴールにしない」というセックスの在り方は、受け入れることが難しいことだと思います。僕も、以前はそう思っていたから。

確かに、快感としては射精時の感覚が一番強い快感なので、それを自ら放棄するのはとても勇気がいること。

でも、「興奮の度合い」という観点で考えたら、射精に至る「ほんの一時」が他の何よりも大事、とまではいかないなぁ、と思います。

射精に至るまでには、物理的には割と強い刺激が必要になるので、その間、僕ら凡人の男性のほとんどは「ピストン運動」に意識が集中します。言い換えれば「自分のことだけ」になってしまう。他の部分、例えば指であったり、口であったりは射精に向かっているときにはおろそかになってしまいがち。

相手の女性が、それまでに十分なオーガズムを得られていればいいのですが。そうでなければ女性はただただ男の射精のための「道具」のような状態になってしまう。

若いうちは、割とすぐに射精に至るのでそれでも問題にならなかったりしますが、歳をとると男はなかなか射精に到達しなくなる。そうするとそれが問題になってくる。

プレッシャーにもなる。体力的にもしんどい。そして、気持ちよくなければ苦痛になる。。。

きっと、「射精がゴールではない」となれば、男女ともに安心感を得ることができる。

そんな風に思います。

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