「自分の都合」を押し付けていたのだ、ということ。

「レス」の克服
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最近は、「このタイミングでセ○○○しなきゃ!」みたいに感じることも少なくなり、以前のようにそのことでイライラしたり、喧嘩になることは激減した。

ときどき、「前はこのタイミングのときに”なんでしたいのに無視するんだ!”って切れてたなぁ」とほろ苦く思い出すことがある。

今冷静に考えると、こちらの「セ○○○したい!」という都合だけしか頭になくて、妻が疲れているかどうかとか、妻の精神状態がどうなのかとか、妻の方の都合は何一つ考えてはいなかったことに気付かされるのだ。

そりゃぁ、無理だろ?って苦笑いする。

ちょっと前の記事にも書いたが、わずか一年前でも「休みの日にこれだけ頑張ったのだから、報酬としてセ○○○させて欲しかったのに!」みたいに思っていた。自分でも読み返して、恥ずかしく思う。

それって、結局自分の都合でしかないのだ。

生きていく上で、セ○○○を含めた「性」的な行為の重要度が高い人(僕)と、低い人(妻)が居て、重要度が低い人にとっては、身体的・精神的な”諸条件”が整ってはじめて、「してもいいかなぁ?」になるわけで、傍から見てもその諸条件が整っていない時に「させて!させて!」と言われてもうっとおしいだけなのだろうと思う。

前は、「セ○○○が上手になったら、もっと興奮させられたら、、、」などと不毛な努力をしていたが、今はあまり考えなくなった。もちろん、下手よりは上手な方がいい。セ○○○が下手なのに「お付き合い」で行為をすることは、相手の心と身体に多きな負担を強いることになるので。ある程度の「技能」は必要だと思う。

だけど、もともと「性」の重要度が低い人に、その重要度を高めようと働きかけるのには無理があるんだなぁと最近は感じる。

それこそ、自分の都合に合わせさせているだけなのだ。

「自分はしたい!」を主張して、相手が「無理!」であれば仕方ない。

そのくらいにライトな関係で居られるのが一番いいのかも知れない。

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