【レス、克服への道】「愛し方」の違う二人。。。

「レス」の克服
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2年ほど前に書いていたブログで、当時公開になった映画を話題に記事を書いたことがあった。「フィフティ シェイズ オブ グレイ」という、若くして成功したがSMプレイという歪んだ形でしか女性を愛せない富豪の男と、一旦はそれを受け入れようとするが、結局受け入れることができない純な女子大生との恋のお話だった。

当時は、まだ僕ら夫婦は衝突しがちで、二人の関係もギスギスしていたころだった。妻はラブストーリーだと思って劇場版を見て、でも内容的に思うところがあって、僕に見るように勧めてきたのだった。

「愛し方の違う二人、って私たちも同じだと思うから」と。

で、それを見て、記事を書いたとこまでは記憶している。自分の書いた記事の中身についてはあまり覚えていないけれど。

記事を書いておいて、覚えていない、というところに、その頃の自分の心理状態が現れていると思う。妻の言う「あなたとは違う愛し方」というものを、受け入れられずにいた、ということだ。

今になって、ようやくその意味が分かるようになった気がする。

拒否されて苦しんでいるころ、僕はこんな風に考えていた。

「できないなんて、妻は自分を愛していないんだ!」

「愛していないから、自分が望むことに応えられないんだ!」

つまり、愛があれば、性的な行為はできるはずだ、と思い込んでいた。

一方、この映画を通して妻が僕に伝えたかったことは、「愛していても、できないことがある。」ということ。

愛しているからと言って、行為が可能ではない、ということだ。

このことは、拒否されている立場の方は男女とも、なかなか受け入れられない、理解できないこと、なのだが、、、でも、このことを受け入るとまではいかなくても、「そうなのか」くらいには思えないと、レスの問題は先に進まない。

「 愛 = 性行為を受け入れることができる 」  では、ないのだ。

これって、拒否される側は、なかなか受け入れられないことだと思う。これを認めると、「この先ずっとできない」ということを受け入れることになりそうで怖い。その上、「自分が愛情の形」だと信じていたものを手放すことにもなり、それも怖い。多分、文章で読んだだけでも、心の中がザワザワしたり、腹が立ったりすると思う。

それはそれで、仕方がない。現時点のあなたには、まだ受け入れることが出来ないことなのだから。いつか受け入れることが出来て、その頃にはレスの問題が克服できているだろうから。

大事なのは、パートナーが自分とは違う「性の価値観」で生きていることをまずは「知る」ことだと思う。最初は、「あぁ、違うんだ」を分かるところからがスタートだ。それすらできずに、「受け入れてもらえないから俺は愛されていない!」と勝手に決めつけてしまうと、自分も相手もただただ苦しいだけなのだ。

自分が「愛しているのなら、こうあるべき」と決めつけた形だけが、相手からの愛し方ではない。行為に応えられないから、その他の部分で応えよう、尽くそうとするパートナーもいる。

冒頭に紹介した映画では、結局二人は結ばれることなく別れる道を選択した。あなたとパートナーの間の「愛し方の違い」は、それほど隔たりのある物だろうか。映画は見なくとも、ぜひ立ち止まって考えてみて欲しいと思う。

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