【レス、克服への道】間違ったやり方では、いつまでも辿り着けない。

「レス」の克服
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このブログを書き始めたきっかけは、40代になって、これまで自分の経験してきた色んなことが、ひょっとしたら、どこかの誰かの役に立つかもしれない、という思いからだった。

大企業からの、分野違いの中小企業への転職であったり、資格取得の勉強方法だったり、夫婦円満のための「男の家事」だったり。

ただ、夫婦円満のための取り組みを考えたときに、僕ら夫婦の場合には「レス問題の克服」は、どうしても外して考えることのできない話題だった。そしてその話題について書こうとすると、過去の自分について触れずにはいられない。

1年半ほど前、僕は違うタイトルで「レスと向き合う」ブログを書いていた。毎日毎日、ちょっと前進した、また後退した、と一喜一憂しながら経過やその時の心境をつづっていた。ありがたい事に、そんな記事を励みにしてご自身も努力を重ねて、今は「克服」されている方もいらっしゃる。自分の書いていた記事も、全く意味がなかったわけではないのだな、と心から嬉しく思う。

だが、今回レスの問題を取り上げて記事に書こうと以前の自分を振り返ってみると、考え方や方法が、間違っていたなぁと感じる部分が多い。

間違ったやり方を続けていても、ゴールには辿り着けない。

僕の場合は、妻がある程度彼女自身の想いを「主張」できる人であったから、僕が間違った方法を押し通すことができなかった。だからこそ「ラッキー」だった。間違った方法を通すことが出来ないから、自分自身と向き合い変わることが出来たのだ。

今の状況を冷静に見てみると、当時不満に感じていたことって、今もそんなに変わっていなかったりする。結局は、「自分の感じ方」が変わったに過ぎないのだ。同じものを見ても、心の持ちようによって違う風に感じる。そのことを「レスの問題」を通じて学ばせてもらったのかもしれない。

僕は、「性」の持つエネルギーの強さを、間違った方向に解釈していた。「性欲」は強い欲求だから、我慢することは難しい。だから、拒否せずに応じるべきなんだ、と。だが、「性」の持つエネルギーは強いからこそ、自分を曲げて受け入れようとすればその人の心を壊してしまう方向にも働く。自分の欲求のために我慢を強いることは、大切なパートナーを痛めつける。

「レスの問題」に関しては、どっちかが「悪い」くてどっちかが「我慢しろ」という主張は、間違っている。

そして、間違った道をいくら彷徨い歩いても、ゴールには辿り着けない。

「レスを克服」するために、一番大切なこと。それは、「自分自身を癒し、「性」に依存し執着した状態」を抜け出すこと。相手がどうこう、ではなく自分自身が変わること。そのために「自分はなぜ「性」に依存し、執着しないといられないのか」の原因に気付くか、「執着しなくて済む」まで自分を癒す。そのための努力をすること。

きっとこれが、正しい道なのだと思う。

レスの問題で苦しんでいたころ、僕は、妻が応えてくれずに眠ってしまったとき、物音を立てたり、独り言を言ったりして、自分の不満を露わにしていた。

そのときいつも、「まるで駄々っ子みたいじゃないか!」と駄々を捏ねる状態にしてしまう妻が悪い!と憤っていた。

そう、まさに駄々っ子だ。子供の頃に駄々を捏ねることが出来なかった自分が、「性行為」という自分が欲しいものを前に、大人になってから駄々を捏ねていたのだ。

そこで、妻が「そうね、そうね」とそれを受け入れる人だったら、どうなっていただろう。もちろん、妻自身が無理なく受け入れることができればそれはそれで良かったのかもしれないのだが、無理をして受け入れる状態であったならば、、、。考えるのも恐ろしい。

なぜあなたはそんなに「性」のことで苦しむのか。まずは自分自身を一度振り返ってみて欲しいと思う。

つづく

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