「レスであること」が問題なのではなくて。

「レス」の克服
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以前は、頻繁にネットで「セ○○○レス」とか、「セ○○○レス、苦しみ」などと検索して、レスの問題で苦しんでいる同じような方のブログ記事を読んでいましたが、この1年ほどはほとんど検索をすることが無くなりました。

最近、久しぶりに「セ○○○レス、苦しみ」でネット検索をしてみました。

「レス」が社会問題化して以降、レスに関連する様々な情報がネット上から得られるようになり、この問題を専門とする心理カウンセラーの方も増えて、以前に比べれば、この問題を克服するために良い環境が出来てきているなぁと思います。

しかし、一方で「レス=夫婦としておかしい」「夫婦はセ○○○するのがあたり前」みたいな、少し的が外れた考え方と、そしてそれに捉われて必要以上に苦しんでいる方の存在も見受けられるようになった。そんな気がしています。

そんなことを言っている僕も、以前は「夫婦はセ○○○するのがあたり前」だと固く信じていて、「こちらの欲求に応えようとしない妻はおかしい!」という風に思っていました。

が、その後色んな情報に触れ、拒否することに苦しんだ方とも交流し、何より妻と向き合うことで考え方が少しずつ変化してきました。

「レスである」ということ、すなわち病気等の原因がなく1か月以上夫婦間で性的な交渉がない、ということを「おかしいこと」と捉えるのは、違う。

行為がある、出来る、出来ないが問題ではなく、夫婦間の性に対する欲求の強さの差を、拒否する側は、解決するための努力をしようとしないこと。問題を放置して、相手の我慢にだけ依存してしまっていること。

きっとそれが問題なのだと、今では理解しています。

本来は、夫婦になるときに「性についての欲求の度合い」「性の部分の嗜好」について、話し合いをすべきところが、「恥ずかしくて」「引かれてしまうのではないかと怖くて」「結婚すれば何とかなるだろう」と軽く考えてしまって。

その問題の大きさ、重さをきちんと認識することもないままに、走り出してしまって。

全て、とは言いませんが、レスの問題の多くは、相手の性に対する正しい知識や理解があれば、そこまで大きな問題にならずに克服することができると思うんです。

でも、感情が優先してお互いに歩み寄ることが出来ない。

今、この問題で苦しんでいる方にお伝えしたいのは、セ○○○がないことが問題なのではなく、セ○○○がないことに心が大きく反応する、そのことが問題なのだということ。

今は分からなくても、いつか気付いてもらえる日が来ればいいな。

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