先日、妻と衝突しかけた、という記事を書きましたが。
その翌日は、子供たちに別の部屋で寝ることへの納得を取り付け、今日は大丈夫、と思っていたのですが。
今度は、妻が10時過ぎになって「お腹が痛い」と言い出す。
状況などから考えて、恐らくあれは「仮病」だったんだろうと思います。
どうにも「その気」がしないけれど、2日連続で断ると夫(僕)を怒らせることになる。でも、したくない。どうしようかな、そうだ、お腹が痛い、ということにしてしまおう。
妻の気持ちを想像すると、そんな感じ、でしょうかね。
腹は立ちましたが、文句を言ったところで相手がやる気になるわけでなし。
その晩は、腹を立てつつ、そのまま床につく他はありませんでした。
以前だったら、物に八つ当たりしたりして、大喧嘩になっていたところでしょう。
腹は立ったのですが、一つ、思うことがありました。
それは、「行為」のことを「それほどしたいことではない」妻に、やる気になることを求めてしまっているのだなぁ、、ということ。
本当は、「行為がしたい」僕が、妻が「その気」になるように、妻の「スイッチ」を入れるための努力を努力をすることが必要なんだろう、ということに思い至りました。
そうすると、僕の中に色んな感情があることに気付きました。
「そんなの、恥ずかしい」と思っている自分がいること。
「そこまでしないといけないのか?相手が努力すべきでは?」と考えている自分がいること。
「そこまで努力をして(妻と)したいか?」などと考えている自分がいること。
自分の気持ちの中にも、今でも「性のこと」を恥ずかしいことと考えている部分があり、自分でも「性のこと」に積極的になることに消極的な部分があること。要は自分でも自分にブレーキをかけている部分があるのだ、ということ。
「行為」を復活するために、「相手をその気にさせる」ための努力というのは逆効果だったりしますが、僕たち夫婦のように片方がそれほど乗り気ではないけれど、行為自体はある、という状態のカップルにとっては、「それほどしたくない」方のやる気をアップさせる方法を考えることも、大事なのかもしれない。
そんな風に思います。
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