「最後までしなくてもいい」を、伝えるべきかどうか

「レス」の克服
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妻と、レスのことで一番揉めていたころ、僕は「できるように」さえなれば、この問題が解決するのに、と思っていました。

そして、妻と喧嘩になって何度も「そんなにそれが大事なん?」とか、「あなたは自分がしたいだけでしょ!」などと言われて、怒り狂って、悔しくて悲しくて、何度も絶望的な気分に陥っていました。

レスのこと、夫婦間の関係や自分や妻の「心」の状態やそれに伴う問題などについて、色んな知識を身につけた今は、「できればいい」というようなことを考えることは無くなりました。

今、妻に伝えた方がいいか、決めかねていることがあります。

それは、「最後までしなくてもいい」と伝えるかどうか。

以前の僕は、「最後まで出来ないのなら、したことにならない」と思っていました。

「二人で肌を合わせるだけ」などでは満足できない、かえって欲求不満になってしまう!と思っていました。妻には、「入れる」「出す」までしないで済むのなら、もう少し頻度を上げることもできるのに、と言われたこともありました。でも、それではダメだ、と固く信じていたんですね。

あれから、自分の「出したい」という欲求に素直に対応するようになり、そして妻との「行為」に自分が何を求めているのか、ということに向き合うようになってからは、僕自身随分変わってきました。

今は、妻の肌に触れるだけで、ある程度の満足感を感じるようになりました。例え、自分の方が「最後まで」できなくても、妻が「触れる」ことを拒絶しなければ満足できるようになってきたんです。

それを、伝えるかどうか。

それを、その気持ちを伝えてしまえば、「最後まで」できる機会が減ってしまうような気がして。

そしてもう一つ。妻は子宮内膜症を患っていて、ローションを使って、気を遣いながらでないと痛みが出やすいのですが、産婦人科の先生に「しないとますます痛みを感じやすくなって、出来なくなるよ」と言われているので、「行為」に「リハビリ」のような感覚を妻も僕も持っていること。だから「しない」ことで、かえって悪くなる可能性もあるなぁという心配があること。

ただ、、、。これまでこの悩みは自分の中でモヤモヤしているだけだったのですが、今日記事に書いている途中で、「あぁ、これは伝えるべきだろう」という気持ちが固まってきました。

それを妻がどうとらえるかは、妻の方の問題、ですもんね。

言葉やタイミングは、よくよく考えた上で、伝えてみようかな。

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