人間の「脳」や「性」を知れば知るほど(2)

「レス」の克服
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昨日の記事を自分で読み返してみると、「あぁ、なんだか悲観的な感じがするなぁ」と思いました。

ただ、物事は見方によって悲観的にも、楽観的にもとれるもの。僕が皆さんに伝えしたいのは、マイナスの面ではありません。

もう、これまでにも何度もお伝えしたことですが、夫婦の関係性を維持し、相手を想い続けること、想われ続けることは本当に簡単な事ではありません。例え今、その関係性がぐらついていたり、相手が、もしくは自分がよそ見をしてしまったり、色んなことがあったにせよ、とっても難しいことにチャレンジしているんです。いちいちクヨクヨと、自分の存在を否定する必要性など、全くありません。

そもそも、今の「結婚制度」というものが、日本人の特性に合っていないのではないか。そんなことを最近感じています。

現在の婚姻制度が制度化されたのは、明治29年に制定された「明治民法」によります。この「明治民法」によって、「家父長」による「家」制度が確立されました。

では、それ以前の日本における夫婦の関係はどうだったのか。

日本では、中世から江戸時代、そして明治の中頃まで、実は「離婚大国」だったことは意外と知られていません。明治16年の普通離婚率(人口1,000人あたりの離婚経験者の割合)は、3.39。2011年のそれが1.87であることから考えると、当時の方が1.5倍近く高い数字です。

さらに、江戸時代の離婚率は武家で10%前後、庶民でも4%前後と言われています。(あくまで推定値ですが)。この数字で考えると、今の倍以上の確率で離婚していたということになります。

なお、よくメディアが「近年は離婚率が上昇し、3組に1組が離婚している、、、」などと報じていますが、この「1/3」は、その年一年での「離婚件数/婚姻件数」という「特殊離婚率」という数字であり、注意が必要です。(必要以上に「深刻!」をアピールするのが今の日本のメディアなので。。。)

ともあれ、国家による「統制」が加わるまでは、日本における婚姻制度というのは比較的「緩い」ものであり、「生涯添い遂げる」という意識も低かったようです。

結局我々は、平成が終わろうとしている今でも、明治時代に国家が決めた「結婚のあるべき形」に縛られているのかもしれません。

もちろん、一人の人と想い合い添い遂げる、というのも一つの理想形かもしれませんが、例えば別居婚や通い婚、あるいは離婚しても子供を介して緩やかにつながるような男女の形も、有りなのかもしれません。何しろ、LINEやその他のSNSを使えば、今、どこで何をしているのかをすぐに伝えられるような時代です。無理矢理一つ屋根の下でいがみ合って生きていくよりも、そのような選択をとった方がいい場合もありそうだ。そんな風にも思います。

どちらにせよ、夫婦の関係性で悩んだときには、世間や親や周囲からの目、自分の中にある「夫婦とはこうあるべき」という刷り込みなどに縛られることなく、「自分はどうしたいのか」「自分はどうありたいのか」という自分の気持ちにしっかり向き合って、選択肢を考えることが大事なのだと思います。

 

 

 

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