昨日の記事を書いていて、あ、これは、、、と思ったことがあったので、続編です。
以前は、男性で「性のこと」にネガティブなスタンスをとっている人って、「性のこと」を遠ざけようとする人、つまり「拒否する側」の人だけだと思っていました。
でも、最近はちょっと違うのかなぁと思っています。
奥さんに「拒否される側」の男性の中にも、実は「性のこと」をネガティブにしか思えていない人達が大勢いるのではないかと思うのです。
「はぁ?俺、拒否されて苦しんでるんだけど!( `ー´)ノ」
という声も聞こえてきそうですが。。。
どういうことかと言いますと。
拒否されている側の夫たちの中には、妻に対して「気持ち良くない、残念なセッ〇ス」しか提供できない、「性のことに対して奥手」な男性の方も多くいるように思います。
この方々、「結婚したら、セッ〇スの要求に応じるのが妻の務めだろう!」と、相手が痛がろうが、嫌がろうが、「自分の欲求」を解消することしか考えれていない訳です。
しかし、なんでそんな風になるのか?
本来、自分にとってセッ〇スが大事で、なくてはならないものなのであれば、それがもっと良いものになるように努力するのが当然ではないかと思うんです。
でも、それができない。
そこには、「セッ〇スは俺の権利や!」と言いながら、実は「セッ〇スは恥ずかしいこと。探求してはならないこと」「性のことに詳しいのはいけないこと」という「ネガティブな刷り込み」がきっちり働いているのではないかと思うのです。
以前もご紹介した、「夫のHが嫌だった」の中で、奥さんに対して「苦痛」なセッ〇スを強要している男たちは、概して「いつもは優しくて、普通の男」たち。普段から「オラオラ系」でモラハラな夫も中にはいますが、その多くは「普段は優しくてまじめで、礼儀正しい」夫たちなのに、夜の営みのときには全く相手のことを考えることもせず、「痛いセッ〇ス」「苦痛なセッ〇ス」を妻たちに強要する。これは一体なぜなのか、答えが分からずに悶々としていました。
ですが、昨日の記事を書いていて、これも答えの一つなのかもしれない、と思いました。
彼ら「夜だけモラハラ夫」たちは、自分の欲求には敏感に反応するものの、実は心の中では「セッ〇スは恥ずかしいこと」という刷り込みにとらわれている。だからこそ、技量を向上させようともしないし、相手の反応にも構ってはいられない。だって、恥ずかしい行為だから「さっさと終わらせなきゃ」なのでしょう。
そこには、「夜だけモラハラ夫」の強すぎる「自己愛」とか、その他の要因も絡んでくるので、より一層複雑ではありますが。
妻とのセッ〇スを、より良い時間にしようと思えば、今なら本もあるし、技能指導のDVD(AVではなく)だってある。にもかかわらず、自分本位な態度を貫くその背後には、「性のこと」を恥ずかしいことだと信じ込んでいる「親からの刷り込み」が隠れているのかもしれません。
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