「決めつけ」は害ばかりで一利もないから。

よりよく生きるために
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昨日の記事では、「コミュニケーション不全」に陥った僕の二人の姉について書きました。

僕の姉たちの様に大きな問題に発展しなくても、普段は”きちんと”コミュニケーションをとれていると思っているご夫婦においても、意外と相手の「真意」は分かっていなかったりすることは良くあります。

人間は学習する生き物ですので、「以前はこうだったから、今回もきっとこうだろう」とか、「私だったらこうするから、相手もきっとこうするだろう」とか、「こういう表情、声色だったから、きっとこう思ったのだろう」とか、以前経験した状況と、今得た情報を組み合わせて状況の判断をしようとします。でも。

夫婦の間では、「きっとこうに違いない」という決めつけは止めた方がいいと思います。

僕たちは、世の中の夫婦の中では会話の多い方だと思います。しかし、僕は妻の考えていることを、妻は僕の考えていることを、きちんと理解できていないことが意外なくらい多いです。

長い日は夫婦だけで1時間から2時間くらい話をしているような僕ら夫婦でさえも、「え、あのときそんな風に思ってたの?」とか、「こうだと思ってた!」とか言うことがたくさんありますから、夫婦間のコミュニケーションが上手くいっていない場合には、「決めつけ」「誤解」「妄想」の方が、まともな感情よりも増えて言っている事でしょう。

そして、この「決めつけ」が厄介なのは、それが事実であるかないかに関わらず、膨張し続けることです。「帰りが遅いのは、仕事じゃなくて浮気してるのかもしれない」「家に帰ってくるのが嫌なんだわ」「もう私のことを何とも思っていないに違いない」「私なんか生きている価値がないんだ」と、もう「帰りが遅い」という事実からは遠くかけ離れたところまで思考が進んでいってしまって、制御が効かなくなってしまう。

一方で「決めつけられた側」は、自分の何気ない行動や言動が大きく膨らんで「大問題」として相手に捉えられている事に大きなストレスを感じることになります。「そんなつもりはない」と説明しても分かってもらえなければ、そのストレスは「相手への不信感」へと変貌していきます。

僕たち夫婦がセックスのことで揉めているときに、僕は「妻は俺をバカにしている。俺を愛していない」と決めつけていました。そして、僕にそんな風に言われることがストレスで、妻はどんどん僕を受け入れられなくなっていきました。

相手の話や、気持ちを聞かずに「決めつけ」をすることは「百害あって一利なし」です。聞きましょう。言いましょう。きちんと相手とコミュニケーションをとりましょう。

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