せっかくなので、自分の気持ちに寄り添ってみる

よりよく生きるために
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このところ、読者の方の役に立つような記事をかけていなくて、申し訳ありません。

ただ、自分の気持ちが落ちているときに、繕って偉そうなことを書いたとしても、きっと読む方の心に響くようなことは書けないなと思っていること、そして自分の気持ちに寄り添って、自分が感じたことを書き出していくことで気持ちを立て直すきっかけにしようと思っています。もうしばらく、待っていただければと思います。

さて、せっかくなので、自分の気持ちに寄り添ってみようと思います。

今回、こんなにショックを受けている一番の要因は、昨日、一昨日と書いた通り、「上手くいくようになった」と思っていた妻との関係が、実は自分がそう思っていただけで以前とほとんど変わっていなかったことでした。そのことに無力感を感じているのが現状です。

そして本当は、「別れる!」などと言ったことを謝って欲しい。「あんなことを言ったけど、本当に別れようと思った訳ではない」と言って欲しい。でも、妻の性格上、そんなことを言ってくれるわけではないことが分かっているので、それを言えずに悶々としている。それに、そんなことにいつまでも「うじうじ」している男らしくない自分にも嫌気が差している。だったら、機嫌を直して元気に振舞えばいいのに、顔を見ると「俺の気持ちに気付いてくれよ」という感情が出てきてしまう。機嫌よくしているとそれに気付いてもらえない!と心がざわついている。

こんなところでしょうか。書いているうちに、すこしスッキリしてきました。(読んでいる方はスッキリしないと思います。すみません)

妻と僕は、バイオリズムが似たような周期で、どちらかが仕事などで忙しいと、もう片方も同じように忙しく余裕を無くしてしまう傾向にあります。今回も僕の現場が忙しくなるタイミングで妻の仕事が忙しくなり、今がお互いに疲れがマックスの状態。そのあたりも手伝ってのこの状態です。

それから、のどに刺さった魚の骨のように引っ掛かっていること。

僕は貧しい家庭に育ったこともあり、お金のことについては割とシビア。というよりも、お金をもらう、請求するということにどこか「罪悪感」を持っている部分がある。自分が家計のために立て替えたお金を請求しているだけなのに、どこか「お金を無心している」ような気持ちになっていました。だからこそ、「あぁごめん!忘れてたよ!」と気持ちよく返して欲しかったのに、「なんで今頃言うの」的にぐちぐち言われたことでその「罪悪感」をより深く感じたために、感情的になってしまった。さらに、「足りないから今ごろ言うんでしょ」という妻の一言も僕の怒りに火を注ぎました。僕の気持ちの中に、「小遣いが足りないから無心する」というのは「とてつもなく恥ずかしいこと」という思い込みがあって、子供のころから今まで、親にも妻にも「小遣いを無心する」ということをしたことがない。今回も、決して「足りない」からではなく、10日ほど待っても戻ってこないお金についてお伺いを立てただけ。なのに、なんでそんな言い方されないといけないんだ!と、感情的になってしまった。

そう。別に妻が何を言おうと、「いや、これは自分のお金だから返してね」で済んだ話なんです。そこに余計な気持ちをくっつけて「俺の気持ちを分かってよ!」となってしまったのがいけなかった。

書いているうちに、少し気が楽になってきました。もう、大丈夫かなぁ?

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