妻と、行為の有無で一番揉めていたころ。
僕は、日常の妻の態度の一つ一つが不満で、いつも不機嫌でイライラしている状態でした。
そして、妻も僕と同じように、いつも不機嫌でイライラ。
イライラした者同士が顔を合わせれば、当然空気も悪くなる。
子供たちには申し訳なく思うのですが、当時の我が家の中はいつもとってもイライラ、ピリピリした雰囲気で、嫌な空気が漂っていたと思います。
当時、「行為」をしようと約束していても、結局直前になって断られたり、妻が寝付かせのまま起きず(実際には寝たふりをしていたようです)にスルーされたりして、その都度僕が怒って物に八つ当たりをし、その態度に妻が切れて大喧嘩になる、ということが繰り返されていました。
そのときに、僕がいつも思っていたのは、
「もっと断られるこちらの身になって、優しく断ってくれたらここまで怒らずに済むのに」
でした。
これは、拒否される側の方は同じような経験をされて、同じように感じた方も多いのではないでしょうか。
拒否される側からすると、パートナーから「行為」を断られるというだけですごく苦しいのに、その上こちらの気持ちなど考えてもない、というような言い方をされると余計につらい。
だからこそ、同じできないなら、もっとこちらのことを考えて物を言って欲しい。そんな風に感じているんです。
でも、往々にして拒否する側の言い方は突き放すようで冷たく感じる。
じゃぁ、拒否する側は本当に何も考えていないのか。
考えていない、相手の気持ちなんか知らない、というタイプの方も世の中にはいますが、全員がそういう訳ではないと思います。なのに、なんでそんな言い方になるのか。
最初のうちは、相手がそこまで傷ついていると思っていない、しなくてもいいでしょ、的なものだったかもしれない。でも、「行為」の有無で喧嘩が度重なってくると、さすがに相手が「行為」を期待していて、断ると傷ついたり怒ったりすることも分かってくる。でも、「したい」という気持ちになれない。相手が期待していることを「断る」というのも、結構なストレスになります。
断られると、拒否される側は「じゃぁ次はいつ?」となりがちです。でも、拒否する側にとってはそう問われることも苦痛。だって、時間が経てばしたくなる、と言うわけでもないから。結局、いったん断ってもそれは「延期」しているだけ。しばらくすればまた同じことで苦しまないといけない。
そうすると、相手に優しくすることなんてできないんです。
優しくしたら、相手に期待されるかもしれない。期待なんてされたくない。できればこの「断る」というストレスから解放されたい。「したくない」自分を理解して欲しい。
そんな風にして、拒否される側が「酷い!」と感じるような態度が醸成されていきます。
一方、拒否される側は、「行為」がないのに機嫌よくしていると、「しないのが当たり前」になってしまうかもしれない、という恐怖心に縛られています。そもそも「行為」を断られている、というだけで不安で不満な状態ですから、自然とパートナーに対して不機嫌で、イライラした状態をぶつけるようになる。
冒頭に、僕たち夫婦の事例で紹介したように、お互いがお互いにイライラして、ぶつけあう状態です。
結局、どちらも互いに「自分のつらさを分かって欲しい」という主張を、言葉ではなく態度でしているだけなんですね。
お互いが、お互いにとって「嫌なこと」を強要する”悪いやつ”になっている。
いったん、「行為」から離れて安心できる環境を作ることで、お互いが”悪いやつ”ではなくなることが必要なのかもしれませんね。
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