【レス、克服への道】手放すことは怖いけど、大丈夫。手を放しても、また掴めばいい

「レス」の克服
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パートナーから性的なコミュニケーションを拒否されると、「自分は愛されていないのでは?」と不安に駆られる。それがたび重なると、不安はどんどん強くなっていく。人間、不思議なもので、相手が逃げようとすれば追いたくなる。考えまいと思えば、余計に考えてしまう。

以前も記事に書いたのだが、僕が前に書いていた別のブログに、「拒否しちゃってた側」の方から何度かコメントをいただいたことがある。

まだそのことで揉め始めたばかりのころ。当時のブログでは、妻の自分に対し方に対する不満を連日書き連ねていた。そんな僕を見て、一言いいたくなったのだろう、産後の数年間、ご主人との行為を拒否していたが、ある日突然「したくなって」、それからは大丈夫になった、という方からコメントをもらった。曰く、「産後したくなくなるのは妻側もコントロールできない。だからその間を辛抱するために、趣味か何かを見つけるべきだ」と。

今となって冷静に考えれば、これは適格なアドバイスだった。当時僕に必要だったのは、この「行為以外の自分への癒し」だったのだから。だが、以前書いたように、僕はこのコメントを読んで腹を立てた。「したくないのは当たり前」なんだから、「その間は他のことして遊んでてよ」的に言われたように感じたのだった。「寛容なご主人で良かったですね!」と、喧嘩腰で返答したのを覚えている。「自分は努力も辛い思いもしていないのに、偉そうに上から言うな!」そんな気分だった。

そんな自分が時間が経ち自身の問題が克服できてくると、同じように「行為以外の癒し」を見つけよう、と言っているのだから、何とも自分の不明さを恥ずかしく感じる。ただ、その頃の自分にはまだ、自分自身を癒して、自分自身を見つめて、というような心の余裕が無かったのだから、仕方ないのかもしれない。

その後、今の職場に転職し少しずつ心の余裕が出てきてから、僕は子供のころに「本当はやりたかったけれど、親や周りの目を気にして止めてしまった」趣味をするようになった。「釣り」と「アウトドア」。だが、何となくそれにのめり込むのが怖い、とも感じていた。それらを始めてからも、僕は「妻との行為」を手放せずにいた。一旦手放すと、「しなくてもいいんだ」って受け取られて、「しないのが当たり前」になるんじゃないかと怯えていたのだ。

結局それを手放せたのは、趣味を初めてから半年後。それも、妻が仕事で忙しくなり「仕方なく」だった。

パートナーの置かれている状況や、性格・レスに至った経緯などにもよるので、一概には言えないとは思うが、「拒否しちゃう側」にとって今必要なのは、「行為をしなくても、愛情を感じ安心して暮らせる」ことではないかと思う。二人の間に愛情と信頼感があれば、今は「行為を手放しても」、きっとまた掴むことが出来る。

僕のように、「嫌だ!手放すのは嫌だ!」とそのことにしがみついて手放すことが出来なければ、その間相手は「しないといけない」というプレッシャーや、「しないとこの人は自分を愛してくれないかも」という不安を感じ続けなければならない。場合によっては「こいつは私を苦しめる、、敵だ!」といがみあうことにもつながる。そうなれば、問題はどんどん深く大きくなっていく。負のスパイラルだ。

僕のように、負のスパイラルにははまって欲しくない。

相手の言い分を聞く、となると「自分の意見はどうなるんだ~!」と思ってしまうだろう。何も自分の「したい」と言う気持ちまで否定することは無いのだ。「今はしたくないんだね。でも、自分がしたいと思っていることは、覚えておいてね」と、、、言いたい。言えれば良かったのに。

対応さえ間違えなければ、一旦手放してもまた掴むことはできる。自分を癒しつつ、その時を待とう。

つづく

 

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