「セ〇〇〇の復活」が目指すところではない。

「レス」の克服
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このブログを読んで下さっている方の多くは、パートナーとのレスに悩み、苦しんでその問題を解決するための糸口を探していらっしゃる方だと思います。

そんな方々に、このようなことを言うのは少し気が引けますが。

僕の目指している「レスの克服」とは、「レスの解消」つまりセ〇〇〇が復活することを目指すものではありません。

拒否される側は、パートナーとのセ〇〇〇の有無に左右されず、日々を幸せに生きれる状態になること。

拒否する側は、性のことから目を背けるのを止め、パートナーと向き合って生きられるようになること。

その上で、二人が出来る範囲でお互いに歩み寄って、二人が納得できる形を作っていく。

これが僕が考える「レスの克服」です。

お互いが納得いく形は、夫婦によって様々だと思います。定期的なセッ〇スを復活させることができるご夫婦もいるかもしれません。一方で、セ〇〇〇ではない形のスキンシップに落ち着くご夫婦もいるかもしれない。また、スキンシップはなくともお互いに納得して幸せに過ごせるようになるご夫婦もいるかもしれません。

ゴールの形は、そのご夫婦によって変わってきます。

その前提として、拒否される側はご自身の心のあり様に向き合い、ご自身がセ〇〇〇にどんな意味づけをして何を求めているのかを知り、その中で自分自身を癒す方法を覚え、セ〇〇〇の有無に一喜一憂することなく、日々を幸せに生きられる状態になることを目指して欲しい。

一見回り道というか、逆行しているように感じるかもしれませんが、夫婦間のセ〇〇〇を復活させることを前提に取り組むよりも、こちらの方が復活する可能性が高いと考えています。

拒否する側の「自分が拒否することで、パートナーを苦しめている」という罪悪感や、「したくないのに、セ〇〇〇に応じないといけない」というプレッシャーからパートナーを解放してあげることで、拒否する側のパートナーにもそのことに向き合う心の余裕が生まれるのだと思うのです。

きっと多くの方は、この記事を読んだときには「モヤモヤ」っとした感じや、「苛立ち」を感じると思います。それはある意味当然のこと。記事を読んで、今すぐ理解して欲しい、とは考えていません。

そうかもしれないなぁ、試してみようかなぁと思える方だけでいいと思っています。

まずは、セ〇〇〇の有無に左右されないで、日々を幸せに生きれる自分になれるように。そのための努力を始めてみて下さい。

 

 

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