僕達は「一夫一婦で一生涯」という生き物にとっては「難しいこと」に挑戦中なのだ

「レス」の克服
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「おしどり」夫婦とよく言いますが、おしどりの夫婦は実際には毎年違うパートナーとつがいになっている。

もう、有名なお話です。「性別」をもつ動物においては、「オスはより多くのメスに自分の遺伝子情報を持つ子を産ませ」、「メスはより優れた遺伝子情報を持つオスの子を産もう」とする。これが自分の遺伝子情報を持つ子孫を残していくための基本戦略としてインプットされています。そして、僕ら人間とて、その「本能」とは無縁ではありません。

だからと言って、「浮気はしょうがないよね~」とか、言いたいわけではありませんし、今はやりの不倫を奨励するつもりもサラサラありません。

が、「一夫一婦制」というものは、そもそも「難しいことに挑戦しているんだ」という考えは、頭の片隅に置いておいてもいいんじゃないかと思います。

そもそも、人間の婚姻のあり方って、時代背景や社会環境によって変化していて、今でも「乱婚的」や「一夫多妻」の地域があるように、多様です。日本においても、社会が不安定で富や資源の集積に偏りが大きかった近世までは、必ずしも「一夫一婦」に縛られない婚姻が当たり前だったようで、今のように生涯一人と添い遂げる、という風になったのは明治以降のお話。近代化・西洋化を急ぐ国家の方針とともに、今のような制度が形成されていった訳で、今の「一夫一婦」で「一人の相手と添い遂げる」制度というのは、「人の動物としての本能」などとは全く関係なしに決められたものなのです。

「結婚したからには、出来る限りその相手と添い遂げるべきなんだ!それが「正しい」夫婦のあり方だ!」と言う風に考えていると、そこからそれるような相手の行動、自分の行動に対していちいち「そんなことは考えてはいけない!」と反応してしまう。性生活がないことについても「これはあるべき夫婦の姿じゃない!」と相手の行動、言動がおかしいのだ、という考えが頭から離れなくなる。それって、結局自分自身を余計に苦しめることに繋がってしまいます。

冒頭に書いたような、「他の相手を求める性質が自分たちの中にはあるのだ」と認識して入れば、相手の自分に対する態度が変化したとしても「多少はしょうがないかなぁ」と思える。「〇〇さんちの旦那さんって、、、、」みたいな話をされてもいちいち苛立たずに済むかもしれない。

「一人の人と生涯添い遂げる」ことって、本来はとっても難しくて、そしてそれが出来る事ってとっても「幸せな事」なんじゃないかなぁと、最近は感じるようになりました。戦争や疫病と言った社会的な混乱が無く、安定して経済資源(要はお金)を獲得できるからこそ、今横にいる「この人」と夫婦の関係を維持することができる。大袈裟に言えば、そういうことですし、「飽きて、他の相手を探そうかなぁ~」となってもおかしくないところを、「いやいや、やっぱりこの人と生きていこう」と自分を選んでいてくれている、と考えれば、相手に対する愛情と感謝の念も湧いて来ようというものです。「夫婦とはこうあるべき!」ではなくて、「僕らがやっているのは、難しいことなんだ。だから夫婦を維持しているのはすごいことなんだ」と、ゆる~く考えてみると、苦しい気持ちも少し和らぐのではないでしょうか。

 

つづく

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