この半年ほど、夫婦間のちょっとしたことで僕は「どうせあいつにとってはスキンシップですら、したくないことなんだ」と拗ねたようになり、「出来ないのなら、外で相手を見つけてやれ!」とか、「別れた方が賢明なんじゃないか」とか考えるようになっていました。
ちょうど、仕事が忙しくなったタイミングとも被り、そのことについてしっかり考えることもせずに、ブログに愚痴を吐き出しながらここまで来たのですが。
アメブロの方に、うちと同じように ”奥さんが「したくない」、ご主人が「したいけど出来ない」”という問題で苦しんでいるという奥さんから、コメントをいただきました。
とても真摯なコメントだったので、こちらもきちんとした返事をしなきゃ、と思って返事を書いていたのですが、、、。
そこで、自分の本心に気付きました。
僕は妻に「自分がやってきた努力」について、認めて欲しかったんだな、って。
妻にとっては、月に1回のセックスも気持ちの上で負担になっているんだな、ということに昨年末頃気付いて、僕は「挿入は(妻が)OKと思うタイミングだけでいい。その代わり、月に一度挿入なしで肌を合わせる機会が欲しい」ということを手紙に書いて渡しました。
こちらとしては、挿入有のセックスをすることを放棄して、かなり妻に歩み寄ったつもりでした。
でも、妻からのリアクションは無かった。
恐らく、きちんと読んですらない。
そのことが、ずっと心の中に残っているんだと思います。「こちらはここまで努力しているのに、それを無視するのかよ!」と。
だから、ちょっとした妻の言い方に大きく反応してしまう。出来なかったことに対して、必要以上に苛立ちを覚えてしまう。
「手前みそ」にはなりますが、最初は期待したタイミングでセックスが出来ないというだけで、滅茶苦茶怒っていた人間が、「挿入なしでもいい」と言えるようになるまでには、結構な努力が必要でした。
その努力した分を、もっときちんと認めて欲しかった。それが、この苛立ちの本体。
そんなことに気付きました。
コメント