妻とセ○○○のことで揉めるようになって、自分自身のことを見つめ直すまで、僕は「僕が挿入してイカないとセ○○○ではない!」という風に思い込んでいました。
それはもう、頑なに。
だから、そんな風に「セ○○○とはこうあるべき!挿入なしなんて、セ○○○ではない!」と思ってしまう、その気持ち自体はよく分かるんです。
僕がその頑なな思い込みから自身を解放できたのは、自分自身がアダルトチャイルドだということに気付いて、「自分のしたいことを我慢してきた」ことや、「人の目を気にして本音を言わずに生きてきた」ことや、「母親にもっと甘えたかった」ことなど、自分がこれまで我慢してきたことの代償をセ○○○で補おうとしてきたことに気付いたことが一つ大きなきっかけでした。
一見、セ○○○とは全く関係ないような「趣味に興じること」や、「本音を言うこと」などをすることで、セ○○○に期待していた「意味づけ」が剥がれていった、という感じです。
それと、自分の中にある「性」の欲求に対して素直に反応して、自分で自分の欲求を満たすことを心がけています。「出したいな」と思えば自分でしますし、「Hな写真が見たい」と思えば見る(もちろん家族とかには隠れてですが)。そこに「自分でするのは恥ずかしいこと」とか、「虚しいこと」などという意味のない意味づけをしない。
そんな風に心がけるようになって、ようやく「挿入」や「イクこと」にこだわる「呪縛」から解放されました。
僕を縛っていたのは、「セ○○○がその他諸々の我慢の代償である」という自身が作り出した状況と、「自分でするのは恥ずかしくて、虚しくて、いけないこと」という思い込み。
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女性の快楽というのは、本来「挿入」という行為が無くても得られるものです。
その点については、色んなサイトもありますし、本も出ています。
ただ、いわゆる「中イキ」という状態は、確かに挿入されないと出来ない。
でも、それも「男のもの」である必要はない訳です。それ用の道具もあるし(むしろ道具の方がいい、という人もいる)、上手くなれば指でもいい。
これは、「上級者」「初心者」だから、とかいう話ではないんです。
むしろ、男を相手にして快楽を得ることの方が、ずっとずっとハードルが高いこと。
だから、単に「快楽を知りたい!」であれば、方法はいくらでもある。
でも、あなたが欲しているのは「男性に与えられる快楽」であるということ。それも「挿入によって」というもの。
そういう風に思ってしまう、そこにこだわってしまうのには、恐らく何かしらの理由があるのだと思うんです。
「男に与えられなきゃダメ」というところ。「挿入がないとダメ」というところ。「自分で得るのじゃダメ」というところ。
これら一つ一つに、何か答えがあると思う。
その部分の答えを見つけることも、この問題を解決する方法の一つではないでしょうか。
そして、その部分は「セ○○○の問題について取り組んでいるカウンセラーさん」の得意な領域ではないかなぁ、、、というのが、僕の意見です。
もちろん、「行為を求める」ことを止める必要はありません。でも、並行して考えてみるのも、いいのではないかなぁと思います。
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