以前記事にも書いたことがあるが、今からもう5年ほど前に、セ○○○レスの問題を何とかしたくて、妻に手紙を書いたことがあった。
自分にとっては、セ○○○がとても大事で、それをする機会を奪われるのはとても辛い、妻のことをも大事にしていくから、もう少しこちらに寄り添って欲しい。そんなことを書いた。
結果は、「こんなこと書いて、卑怯よ!」と妻から怒りの返しを受け、泣きながら大喧嘩して僕が家を飛び出すことになった。(その後、一応和解したが)
最近、妻は喧嘩すると自分だけ言いたいことを吐き出したら、寝室に上がって子供とふて寝する。今回もそう。僕の主張は全く言うことすらできない。
だので、妻が嫌がることを承知で、手紙を書いた。
一つは、自分の性欲に対してきちんと向き合うようにしていることで、「挿入」は無くても数か月我慢することは出来る状態になっているのだ、ということ。
もう一つは、「挿入」をしなくても数か月は我慢できるけれど、「肌に触れたい」と言う欲求は相手がいないと解消されない。それは一月ほどで限界がくること。それすらなしでいつまでも我慢しろというのは不可能だ、ということ。
妻にこうして欲しい、などという注文は一切書かなかった。ただ淡々と自分の「性」に対する今の状況だけを書いた、短い手紙。
前回、手紙を書いたときは、その手紙によって事態が打開されることを期待していた。
今回、この手紙で事態が良くなるとはサラサラ思っていない。いやむしろ、また「卑怯よ!」という反発を食らうであろうことを予想している。
妻は、自分の意に反する主張を「一旦受け止める、聞く」ということが出来ない人だ。
話し合いをしていても、こちらの主張に対して「なるほどね」とか「そうなんだ」という「一旦はキャッチしたよ」という返しすら出来ない。「それは違う!」とか「でも!」と相手を遮り、相手の発言に被せて自分の主張を言うことで、相手の言っていることを徹底して振り払おうとする。言葉のキャッチボールが成り立たない。
だから、それが出来ずに一旦自分の中に落とし込んで消化しないといけない「手紙」は、妻にとっては「卑怯なやり方!」なのだ。
それが分かっていて、書いた。「嫌な気分にさせて申し訳ない」という一文を添えて。
この手紙で、何かが変わるか、動くか、と言えば、多分火に油を注ぐことになるだろう。
それでも構わない。伝わらなくても、こちらも吐き出さないとおかしくなってしまうから。
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