「アダルトチャイルド」なんかじゃないわよ!

”アダルトチャイルド”について
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僕は、僕たち夫婦は二人ともが「アダルトチャイルド」だと思っている。

それだけが上手くいかない原因の全て、という訳ではないが、その部分の影響はある、と。

先日の記事にも書いたが、この前喧嘩になった時に、これまで思ってはいたが心の中に留めていたその考えを妻に話してみた。が、リアクションは予想した通りだった。

「私はアダルトチャイルドなんかじゃない!」

そして、はっきりとは言わないが、夫婦の間で揉めるのは「あなたがアダルトチャイルドだからだ」という雰囲気。

これは、ある意味仕方ないのかもしれない。

妻は、大学で社会福祉を勉強しているので、児童福祉とかについても少し齧っている。その中で彼女の中にあるアダルトチャイルドの定義は、教科書通り「子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たち」だ。だから、彼女の中には僕が自分自身を「アダルトチャイルド」だと言うことも、本音のところでは理解できていないのかもしれない。問題がある家庭環境ではなかったでしょ!という思いがあるのも垣間見える。

ましてや、妻自身の話ともなれば、「私もアダルトチャイルドだって言うの?何言ってんの!違うわよ!」となるのも無理はない。

虐待もされていなければ、ネグレクトにもあっていない。親からの愛情はきちんと注がれていたし、育っていく上で大きな障害があった訳でもない。

学校で齧っているからこそ、「それは違う!」と言いたくなるのも無理はない。

専門家ではない僕が、論理的に説明できる知識は持ち合わせていない。

だけれども、例え子供のころの環境がそれほど酷いものではなかったにしろ、子供心に「親に愛されるためにはこうでないといけない!」と自分に制限を課して成長していくことで、大人になってもその「思考の癖」から抜け出せない状態になることはあり得ると僕は考えている。

そして厄介なことに、「思考の癖」は当人にとっては「当たり前」のことになってしまっているので、そのことになかなか気付くことが出来ない。

今回、妻には自分の思うところを話したが、もう言わないと思う。このことは、自分自身で気づいて受け入れないと変わりようのないことだし、世界で一番「負けられない」相手である僕に言われたところで、反感は湧けども受け入れることなど到底出来ないだろうから。

 

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