夏以降、僕を苦しめてきたのは、
「妻のことを、セ○○○に応じてくれることを前提で好きになっていた」という自分に気付いて、そのことについて自分を責める気持ち、だった。
「セ○○○に応じてくれるから好き」なのだから、応じてくれなければ「好き」な気持ちも半減する。その上、僕のことを理解しようとせず、受け止めてくれないのだから、「好き」という気持ちがあるかないか、分からない。
本来は、セ○○○があっても無くても、関係なく相手のことを好きになるべきなんだ。
それなのに、自分は逆をやっている。。。これじゃぁダメだ!
心のどこかで、そんな風に自分を責めて、この数か月間苦しんできた。
でも、待てよと立ち止まって考えてみる。
別に、それでもいいんじゃないの?
確かに、セ○○○の有無とは関係なく好きになった女性と一緒になることは、理想かもしれないけれど。
でも、「セ○○○をさせてくれる相手を好きになる」ことだって、別に悪いことではないのではないか?
むしろ、そのことばっかり考えていた、若い盛りの頃ならば、自然と言ってもいいのかもしれない。だって、”オス”なんだもの。
そんなことを必要以上に気にしていたって、仕方がないことなんじゃないだろうか?
そんな風に思えば、今ちょっとしたことで、たびたび衝突するのも仕方ないことなんだと思う。
だって、その他の部分については、すり合わせた訳ではないから。結婚前に、この人でいいんだろうか、などとも考えた訳ではないし。多分、お互いに「結婚したら、何とかなるだろう!」くらいに考えていたと思うので。
結局、「受け入れてくれないのなら、別の相手を探そう!」と安易に考えて、他の人に逃げようとしていた気持ちがあったことも否めない。
「良い関係の夫婦にならなきゃ!」「セ○○○前提で相手を見てはいけない!」という固定観念が自分を苦しめていたことにようやく気付いた。
時々ぶつかってもいいんだし、セ○○○前提で相手を見たって構わない。
自分を責める必要は、無いんだ。
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