「愛」も「気持ち」も変化していくもの、だから。

「レス」の克服
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昨日、「もう(性のこと、の)頻度が減ってもいいかも」と思っているかもしれない、ということを書きました。

もちろん、「性」の欲求には波があるので、それが高まってきているときには違うことを言っている可能性がありますが。

しかし、こんなことをブログに書くようになったことに、自分自身で驚いています。レスのことで揉めている頃であれば、他の人がそんな風に書いているのを読むだけでモヤモヤ、イライラしていたので。

読んで下さっている方の中には、この記事を読んでモヤモヤ、イライラを感じている方もいらっしゃると思います。

何も、「僕の様になりましょう」なんて少しも思っていません。モヤモヤを、イライラを感じるのであれば、それはその人にとって、必要な事だから心が反発しているだけのこと。「いやだ!俺(私)はそんな風に思えない!」と思っていいのだと思います。

以前の僕は、「結婚したら、相手のことを無条件に愛すべき、想うべき」と信じていました。「夫婦なんだからそれが当然だよ」と。

でも、それって違うんだなぁと今では思います。夫婦だって人間関係なので、嫌になることやそーでもなくなることはあるんだ、って。

「好きで居続けないといけない!好かれてないといけない!」なんてことはないんですねぇ。

もちろん、子供との関係なんかもありますから、一緒にいるための努力も必要なんでしょうけれど。

ずっと前に、「100%である必要はない」的な記事を書いた記憶がありますが、タイミングによっては気持ちの半分くらいが「好きではない」になってしまうこともあるのかなぁ、と思っています。気持ちにだって、波はあるものだから。

「白か黒か」「〇か✖か」みたいな二元論的な感覚で考える必要など、きっとないのでしょうね。

僕は放っておくとすぐに二元論に傾いてしまいがちなので、自戒の気持ちを込めて。

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