「行為さえあれば、幸せ」は、本当か?

「レス」の克服
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一昨日の記事のタイトルの焼き直し、みたいな感じですが、今日はレスされる側の立場に立って。

相手からの「性のこと」の拒否に苦しんでいる方の多くは、「”行為”さえあれば、幸せになれるのに」と思っていがちだと思います。

でも、それって本当でしょうか?

レスのこと、夫婦間の「性」に対する認識のことで苦しんでいる時って、意識がそのことに集中してしまっていますから、何をしていても、ちょっとしたことで「行為」がないことを考えてしまって、そのことに苦しんでしまいがちです。そんな状態なので、「行為」さえあれば、、、という考えになってしまいがちだと思います。

でも、実際には「行為」が手に入っても「幸せ」とは程遠いことが多いと思います。

その場合には、あなたが欲しいと思っているものは、実は「行為」そのものではなくて、「行為」にあなたが付けた「意味」の方を欲しがっているようです。

「ちょっと、何言ってるのか分かんない」って思われるかもしれませんね。人によって「性のこと」や「行為」につける意味は違っています。ある人は、「自分の存在価値を確認するための行為」だと思っているかもしれない。またある人は、「親からもらえなかった愛情の確認」だったりするかもしれない。

男性では、「男としての魅力を実感するための行為」と思っている人や、「相手を征服していることの確認」と感じている人もいます。これら、総合してしまうと「自分の存在価値の確認」に行き着くことが多いのですが、「行為」を断られると自分の「価値」を否定されたような気がして、怒りを感じたり、大きな悲しみを感じたりすることになります。

で、こういう「性のこと」「行為」につけた別の「意味付け」は、実際には「行為」では得られないものだったりします。実際には「自分で自分を認める事」でしか、自分の価値は確認することができないんです。

ですから、例え行為が復活してもまだ何となく「満足できない」という状況になってしまいがち。

レスの問題を克服する、ということは「行為を復活させる」ことがゴールではない、ということを、ぜひ知っておいて欲しいと思います。

 

コメント

  1. のりこ より:

    ご無沙汰しております、のりこです。
    (覚えていますか?アダルトチルドレン仲間ののりこです(笑))
    とてもお久しぶりですが、毎回ブログ楽しみに読ませていただいてます。(^-^)

    実は先日、母親に電話して子供の頃からの思いをぶつけました。
    苦しんでいたこと、辛かったこと、そのせいで今でも辛いこと、、、
    おもいっきり、言ってやりました(笑)

    途中から二人とも泣きながら、それでも言ってやりました
    そしたら、すっきーりした。
    信じられないくらい心が軽くなった
    大嫌いだった母親も嫌いじゃなくなった
    ちゃんと愛されていた、今も愛されてるってわかった

    その話を旦那にしたら、「良かったね」と言ってくれて、さらに嬉しかった

    心臓が口から出るんじゃないかって位緊張しながら電話をかけました
    声も震えました
    でも、本当に良かった
    母親も初めて心の思いを言ってくれたと喜んでいました

    うまく言い表せませんが、私の人生もう大丈夫、きっと大丈夫って思えるようになりました
    私はこのままでいいんだって。

    すなおさんにアダルトチルドレンだと知らされ、本当に感謝感謝です。
    それがわからなければ、すなおさんと出会わなければ今の私はいませんよ

    ゴールデンウィークもあと数日、ご家族で楽しく過ごしてください

    • すなお より:

      のりこさん、お久しぶりです。
      お元気そうで何よりです。
      お母さんと、お話しをされたとのこと、勇気を出して頑張りましたね。
      そうです、そのままののりこさんでいいんですよ。
      これからもお幸せに過ごして行けることを心から願っております。
      また、コメントお待ちしてますね。

  2. のりこ より:

    このままの私でいい、、、
    ありがとうございます。

    まだまだ問題は色々あります。
    旦那がトイレに携帯を持っていくと、怯えてしまうし(その度にすなおさんに以前言われた、トイレに携帯を持っていくことなんてあるという言葉を思い出しています)
    セックスレスの問題もあるし、、、

    でも、なーんか大丈夫って思える
    そう思えるようになった自分、すごい!

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