レスの時期を振り返ってみる④

「レス」の克服
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夫婦間の「性のこと」で妻と衝突してばかりだったころ、僕の意識はすごい割合で妻との行為が出来るのかどうか、に集まっていたように思います。

例えば、嫌々ながら妻が応じてくれた直後でも、もう次がいつなんだろうか、これでしばらくまた我慢しないといけない、などと考えていました。また、そろそろ大丈夫だろうか、、、などと考えているときに妻や子供が体調を崩して出来ない、となるとその日一日ブルーな気分になったりしていました。

それでは妻との行為がそれほど「いいもの」だったのかと言うと、全くそういう訳でもなく、酷いときには全く満足感を得られずに、行為が終わった後自分でしたこともあります。

結局、そのときの僕は妻との行為によって性的な充足感を得ること以外に、自分の存在意義を確認することとか、自信を取り戻すとか、そんな本来の意味とは関係ない別の意味を付けていたのだと思います。

昨日の記事でも書いたように、レスの状態を何とかしたいともがく中で僕は自身がアダルトチャイルドであることに気付き、そこでようやく自分が感じている事、思っている事に素直に生きることが徐々に出来るようになりました。「性のこと」についても、「出したい、見たい、聞きたい」といった単純な欲求は積極的に「自分でする」ことで、出来なかった時に感じる苛立ちを幾分か和らげることが出来るようになりました。

「趣味」に積極的になりました。周りからの目を気にして抑えてきた「釣り」や「アウトドア」や、「鉄道模型」といったものにも取り組むようになりました。

ただ、最初は「行為」の代わりに自分を癒すもの、という意識が強かったので「行為」ができないときに「趣味」も上手くいかないと激しく怒る、というようなあまり良い状態ではなかったと思います。「行為」の有無に関係なく、日常の中で自分を癒すことが出来るようになるまでには時間がかかりました。

今思い返してみれば、こうして「行為」の有無に依存した状態から脱していったことが、僕にとっての「レスの克服」だったという風に感じます。

ただ、「レスの克服」と夫婦関係の修復とが同じように進んではいきませんでした。「行為」が希望通りにいかなくても怒りで暴発することが無くなった反面、妻との関係性はまだまだ修復できない状態が続きました。

 

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