「出来なかったとき」に自分を苦しめていたもの

「レス」の克服
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「行為」が出来るかもと期待していて、でも、出来なかった時。

レスの問題で一番苦しんでいた頃、そういう場面になると、僕の脳内は湧き上がってくる怒りに支配されて、冷静に物事を考えることが出来ない状態になっていました。

ですので、当時自分が心の奥で何を考えて、欲していたのかは、その時には全く分かりませんでした。こうやって落ち着いた今、振り返ってみるとこうだったのかも、という感じでしかありません。

当時の僕の”怒り”の一番大きな要因は、「出来るのが当然のはずの自分の”権利”を妻に奪われている!」というものではなかったかなぁと思います。

”アダルトチャイルド”である僕にとって、「性のこと」は唯一(!)親からも許された快楽。にも関わらず、それを”する”権利を「眠い」とか「疲れている」という理由だけで奪われている!

そんな風に感じていたのだと思います。

特に、自分がアダルトチャイルドだと気づく前の僕は、仕事でも自分に我慢を強いていましたし、普段の生活の中でも無意識のうちに自分のしたいことを我慢していましたから、この唯一許されている(と思い込んでいた)権利を奪われることは、「生きる喜びを奪われるに等しい」くらいの酷いことだと信じていたんでしょうね。

(ちなみに、この部分の感情は人によって違うはずです。人によっては「自分を無視された!」という悲しみが一番強い、という人もいるでしょう。あなたにとっては何が一番あなたを苦しめているのかな?)

ともあれ、「性のこと」は自分の権利だ!という「思い込み」が外れるまで、この「怒り」は続きました。

夫婦間の「性のこと」は権利でも義務でもない、ということがきちんと心の隅々まで理解できた後、感じていたのは「どーせ、俺のことはどうでもいいんだろう?」という拗ねた感情。

これは、今もあるかな。今でも期待していて、でもなかったときにはこんな風にいじけた気分になります。

「行為」を拒否されたときの感情というのは、「怒りと悲しみと絶望感が混ざり合ったような”どす黒い”感情」で、そのときにはその正体がなんであるのかを理解することは難しいと思います。きっとその”怒り”や”悲しみ”を堪えることで精一杯なことが多いでしょうから。

ただ、少し冷静になったときに、あのとき自分は何に”怒っていたのか?””悲しんでいたのか?”を自分に問うてみることは、自分自身の心の奥底にある「本当に求めているもの」を見つけるための手がかりになると思います。

ちょっと、振り返って考えてみてはいかがでしょうか?

 

 

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