「レス」だから本当の夫婦、ではない。

「レス」の克服
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2017年の8月に、松本人志さんが「ワイドナショー」の中で、「セ〇〇〇レスになってからでしょう、本当の夫婦は」と発言して、それによって「救われた」「共感する」という意見が続出した、、、という記事を未だにあちらこちらで見かけます。

もう、1年半ほど経った発言に対する反応記事が、「セ〇〇〇レス」「松本人志」で検索すると上位表示されているのは、記事を掲載しているのが「Newsポストセブン」や「iZa!」「Zakzak」などの”大手”のネットニュースが取り上げているからだろうと思いますが、拒否される側の身としては、少し”違和感”のようなものを感じずにはいられません。

というのも、「やっぱり、したくなくなるのは当然なのよ」「私がおかしいんじゃなくて、みんなそうなんだ」という風に捉えてしまっている人が結構いるような気がするから。それを、あの「松ちゃんが言うなら、そうよね」と変な風に「お墨付き」を得たようになっている人が多い気がして。

ご本人がどのような意識をもってのこの発言なのかは、類推する他はないのですが、僕は「行為が無くなったとしても心のつながりを保って続いている夫婦=本当の夫婦」という風に読み取りました。皆さんは、どう読み取りますか?

僕も、この「レスになってからが本当の夫婦」という発言自体は「そういう面もあるかも」と捉えています。ですがそれは「夫婦お互いが、レスという問題から目を逸らさずにきちんと向き合い取り組んだ結果」ではないかなぁと思います。

夫婦の努力の結果が、「行為」の復活になるのか、それとも「行為」はしない、となるのかは夫婦それぞれ。でもそこに至るまでの過程で、拒否する側もされる側も、それぞれ自分の気持ちや言い分をきちんと出し合って話が出来た上での「本当の夫婦」だと思うのです。

例えば、拒否される側の気持ちを相手が諦めるまで無視し続けておいて、「ほら、しないのが普通なのよ」「私たち、やっと本当の夫婦になったね」なんて言われても、きっと相手は全く納得がいかないでしょう。「本当の夫婦」などと思っているのは片方だけで、もう片方はいつ別れてやろうか、と考えていたり。そんな状況になってもおかしくないと思います。

僕たち夫婦について考えてみると、確かにレスの問題以降の方が、それまでよりしっかりと話をするようになったと思います。それ以前と以降と、どちらが夫婦として絆が強いかと言われれば、今の方だとは思います。

でもそれは、妻の方も僕に応えようと努力をしているのが分かっているから。もしこれが、「あなた一人が我慢すればいいのよ!」という態度だったら、恐らくすでに別の道を歩んでいたことだと思います。

「行為」はできなくても、出来る努力はあるはず。

「レスの問題」は決して、片方だけの「我慢」で解決する問題ではないということを、知っていて欲しいと思います。

 

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