苦労を力に出来る人、出来ない人。

”アダルトチャイルド”について
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このところ、”精神論”みたいな内容が続いていますが。。。

一昨日、競泳の池江選手が白血病を発症したことを発表されました。記録が伸びている中での突然の発病ですから、ご本人の受けた衝撃や失望感は相当なものがあっただろうと思います。しかし、「治療に専念します」という前向きなコメントを見る限り、きっと病気を克服して再び競技の世界に戻って来られるだろうと信じています。

こういう「病魔に打ち勝ったアスリート」であったり、「逆境を力に変えて」という生き様は、見ている側を感動させてくれますし、素晴らしいのは確か。

でも、それを自分自身のキャパを超えて求めてしまうのは、、、果たしてどうか?

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10年以上前、転職してこちらに帰ってくるまでの僕は、人間というのは苦労すればするほど人間味が増して、強くなったり、力が出る。だから、人間は苦労しないといけない、と思っていました。

以前、自分自身を振り返って書いた記事でもご紹介しましたが、僕の両親は戦後生まれで、双方片親育ち。子供の頃から苦労して育ってきていて、「苦労=すばらしいこと」という刷り込みを受けて育った、そんな背景も影響しているのかもしれません。

その後、中小企業の営業マンに転職し、うつ病一歩手前になるところまで追い込まれるほど”苦労”しましたが、その頃の僕は人間としてとっても余裕がなく、今振り返っても器が小さかったなぁと苦笑いです。「人間は苦労しないといけない」という主張はどこへ行ったんだ、と突っ込みたくなるくらい。

今の会社に移って、仕事の面でも休みなどの待遇の面でも、そして経済的な面でも、営業マン時代に比べて余裕が出来てはじめて、「あの苦労は必要だったんだな」と思えるようになりました。苦労の真っただ中にいるころは、「なんで俺ばっかりこんな嫌な目に合わないといけないんだ!」とばかり思っていましたから。

結局、僕は自分自身で考えているよりもずっと、「打たれ弱く、逆境を力には出来ない人」だったんだなぁと思います。

一昨日のニューヨークタイムズの記事ではないですが、日本人の価値観の中に、「苦労は美徳」と捉えがちな部分がありますが、きっと苦労を力に変えることが出来る人と、そうでない人と、タイプが色々あるんだろうなぁと今では思います。

そういう意味では、潰れてしまう前に、逃げ出すことができて良かったのかもしれません。「一級建築士」という「称号」に拘って、「ここで逃げては男が廃る!」とかやっていたら、今頃はどうなっていたことか。。。

人には、それぞれの持つ「器」というものがあるのかなぁと今は思います。その器は、急に大きくしたりは出来ないもの。

全ての人が、苦労を力に変えれる訳ではない。

時には、逃げるとか、立ち止まる、という判断もありなのかもしれませんね。

 

 

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