人間という生き物は

よりよく生きるために
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今日はちょっと暗いお話になります。

最近の世の中の風潮を見ていると、パワハラ騒動や不倫騒動など、「人として間違っている」と思しきことをした人のことはメディアやネット総出で吊し上げ、滅多打ちに叩きつぶす勢い。

一方で、何となく美談と感じるようなことがあると、今度はみんなでその人を追い回してヒーロー扱い。

ネット上では、ちょっと気の利いた対応をしたことを「神対応!」と祭り上げる。あるいは、逆境にめげずに頑張っている人に「感動!」「感動!」と銘打って、「感動的なストーリー」に仕立て上げる。必要以上に感動させよう、泣かせよう、という雰囲気。

見ていて、何となく違和感を感じずにはいられません。

人間って、そんなに「正しい」生き物でしたっけ?

人間の脳の仕組みや、動物としての行動について色々と調べてみると、人間って結構ずる賢く、思った以上に他者に対して残酷です。それこそ今よりも「死」が身近であった今から100年ほど前までは、それが「あたりまえ」だったのだと思います。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉があります。今では冗談で言うのは良いとして、まじめにこれを言ったら「あいつは酷いやつ!」と後ろ指をさされるでしょう。しかし、我々人間の中に、この言葉どおり「他人の不幸を見て、心のどこかで少し楽しんで」いたり、「自分でなくてよかった」とほっとしている部分はきっとあると思います。

レスのことを扱ったネット上の掲示板などを覗いてみると、みんな同じような苦しみを背負っている人たちばかりのはずなのに、ちょっとしたことをネタに、他の人を攻撃する。「自分より劣っている」人を見つけ出して、その人を攻撃することで自分自身の精神を保とうとしているのかもしれません。

以前は、僕もそれに対して腹を立てたりしていました。でも、最近は少し物の見方が変わってきました。それも、人間の一面だから仕方がない。最近はそんな風に感じています。

前にも書いたかもしれませんが、人間なんてそんなに清く正しく思いやりにあふれた存在ではないのかもしれません。そんな風に考えれば、「なんで?どうして?」と感じる相手の行動や言動にも、必要以上に傷つかずに済むのではないでしょうか。

 

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