「自分ですること」のすゝめ

「レス」の克服
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6月の父の日から、何回か激しい夫婦喧嘩がありましたが、ここにきてようやく、夫婦の間に流れる空気が穏やかになってきました。

とはいえ、僕は先日から「妻に負ける」を受け入れることを意識しているので、会話の中でも「ゔぅ~、反撃してぇ、、、。」と思いつつ、話を聞いている部分もありますが。

今では、夫婦の関係性について考えるときに、「セッ〇スへの不満」の感情を絡めて考えることがほとんどなくなったので、感情的には随分楽になりました。

以前は、お互いに謝って仲直りしたように見えても、心の中では「俺のことをバカにしてるくせに」「セッ〇スでも俺を満足させてくれないくせに」などと妻に対して「恨み」に近い感情がブスブスと燻っていることが多かったです。ですので、なかなか気持ちを切り替えることができませんでした。

前にも書きましたが、男は定期的に「出したい」という欲求は高くなりがちです。(「出したい=セッ〇スをしたい」ではないので、その点は要注意)。以前はその欲求に対して「相手がいるのに、自分で処理するなんて、虚しい。」と考え、我慢した状態で週末の夜に期待し、できなくて大荒れ、ということを繰り返していました。

今は、欲求が高まっているなと感じたら、自分で環境を整えて、楽しみながら処理をするようにしています。そういった意味では、妻が寝坊助なのにも助けられていますね。1週間に何度かは、子供と一緒に寝入ってしまっているので、「見つかるかも」という心配をせずにしっかり楽しめていますので。

今のところ、「夫婦間のもめごと」と、「夫婦の性」のこととをしっかりと分けて考えることができていることは、以前に比べて進歩したと言ってもいいのかもしれません。

「自分の性のことは、自分で満足させる」と言うと、「そんなの無理だよ!」という方も多いかもしれませんね。僕も以前は「何言ってんだ!そんなの無理に決まってんだろ!」って思っていましたから。

「自分でする」と聞くと、なんだかいけないこと、しちゃいけないこと、みたいに感じる方も多いでしょう。男性陣であれば、一度や二度、母親に怒られた経験があるかもしれない。女性だと、「こんな恥ずかしいことをして」と罪悪感に駆られたことがあるかもしれない。

「性のこと」を、「恥ずかしいこと」と刷り込まれてしまう今の日本では、致し方ないことなのかもしれません。でも、「自分の性のことを、自分で満足させる」ことができれば、その分を相手に要求する必要がなくなります。そうすると、相手のことを冷静に見ることができる。相手が「したくない」ときに、「あぁ、そう」と受け流すことができるようになる。そしてそれが、相手に冷静さと平穏さを取り戻す余裕を与えることにもつながる。

最初は、罪悪感や、虚しさに駆られるかもしれません。そんなときには、「なんで罪悪感を感じるんだろう」「なんで、こんなに虚しく感じるのかな」と、自分の心に寄り添ってみて下さい。おそらく、「性のことは悪いこと」という思い込みが、あなたをそんな気分にさせているのだと思います。

相手の「性に対する価値観」を変えることはできませんが、「あなたの価値観」を変えるのはあなた次第です。

 

 

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