【”こころかるく”生きるために】無理、我慢は長くは続かないから

よりよく生きるために
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今日書く内容は、全ての人に当てはまる、という訳ではないですし、統計を取ったわけでもないので、根拠もありません。

レスされる側も、レスする側も、夫婦間の「行為」のことで何らかの悩みを抱えている人の中には、仕事や家庭生活や、周囲の人との人間関係などにおいて、「無理」や「我慢」をしている人が多いように感じます。(あくまで主観ですが)

例えば、産後・育児中の女性。乳幼児の育児って、親の側は我慢することが多くて、自分の時間を持つことや、思い通りにならないことばかり。体力的にもきつい、というのはもちろんありますが、そんなときにご主人が横で自由に自分のための時間を過ごしていたら、イライラするし、受け入れられん!となるのも仕方がないことかなと思います。

僕自身のことを振り返ってみると、以前も記事に書きましたが僕が妻との「行為」ができなくて一番イライラしていたのは、リフォームの営業をしていた最後の3年間。この時勤めていた会社は、大手住宅メーカーの子会社で、それより前に勤めていた地場のブラック・リフォーム会社のころよりは時間的拘束は幾分ましでしたが、一軒一軒の規模が大きい文毎月のノルマの金額も大きく、プレッシャーは大きい、そんな環境でした。

このころの僕は、子供がかわいい盛りの時期なのに、平日休みで家族と一緒に過ごす時間は短く、仕事のストレスは先ほどお伝えしたとおりで、でも転職3社目なので辛抱しなければ、と日々我慢を自分に強いていました。そんな状況だったので、妻との「行為」で日頃の不満を解消しようとしていたのかもしれません。

僕の両親は、戦後の混乱期に、複雑な家庭環境で育ったせいなのか、「自己犠牲」を好む傾向があり、「家族のために、苦しい思いをして働くことが親のあるべき姿」という価値観を強く持っています。それ自体は否定すべきことではないのですが、僕はそれを「仕事とは、自分の嫌な事を我慢すること」とより狭めて理解し、自分に強いてしまっていた。それが、妻との間で、必要以上に揉めた原因になっていたのだなぁと最近思うようになりました。

我慢していると、知らず知らずのうちにその代償を求めてしまうのだと思います。

このところ現場は忙しく、色々ストレスに感じることも多い毎日なのに、心が静穏で居られるのは、仕事の大半の部分が「嫌なこと」ではない、ということがあると思います。営業マンだったころは、毎日数字に追われ、見知らぬお客さんに電話したり、訪問したり。見積の金額説明したり、職人さんと金額について値切り交渉したり。これら全て僕が「嫌だ」と思っている事ばかり。「仕事だから」と我慢することばかりだったと言っても過言ではありません。

日頃積み重なっている「我慢」というものによって、心のあり方がどんどん歪んでいってしまっていたんだなぁとつくづく感じます。

心が静穏さを取り戻すことで、日々の生活の中のちょっとしたことも喜びになり、癒しに感じることができる。自然と考えも前向きになりますし、ちょっとしたことで大きく落ち込んだりすることも少なくなる。

ことは、夫婦の問題だけではないかもしれません。日常の生活の中で、「こうすべき」と思って我慢しているもの。その中で、手放せるものがあるのであれば、一度手放してみてはどうでしょうか。

 

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