【レス、克服への道】「どっちが悪い」”二元論”では問題は解決しない

「レス」の克服
スポンサーリンク

レスの問題と向き合っていると、どうしても「あっちが悪い」「私が悪い」と、「誰が悪いのか」という犯人探しになりがちです。

拒否する側は「相手のこういうところが嫌だからできない!」「できないといってるのにしつこいから嫌!」と拒否される側が悪い!となりますし、拒否される側は「夫婦なのに拒否するなんて酷い!」と拒否することが「悪い」ことだと言う。この状態では、物事は解決の方向には動きっこありません。

僕たち夫婦がレスの問題で揉めているときも、まさにこの構図になっていて、「話し合い」が全然話し合いにならず、お互いの非難の応酬になり、最後には怒鳴りあいのような喧嘩で終わる、というのを数年間繰り返しました。

今、冷静に振り返ってみれば、僕たちはお互いが「自分の気持ちを理解してくれ」と、相手の言っている事に耳を傾けることなく、ただただ自分の気持ち、つらさを主張し合っていただけだったんです。とにかく「自分の言うことを先に聞いてくれ」と。

これでは、話が平行線になってしまうのは道理です。

そして、自分の主張を受け入れられない相手のことを「悪者」にするために、気に食わない点をあげつらって、「だからあなたが悪いんだ」を通そうとする。その裏には「自分をこんなにつらい目に合わせるこの人が悪いんだ。だから自分は悪くないんだ」という思いがある。

レスの問題による夫婦間の軋轢を乗り越えて今思うのは、「どっちが良い、悪い」の二元論ではこの問題は絶対にいい方向には向いていかない、ということ。

拒否する側も、拒否される側も、どちらにも言い分と言うものがあって、それらは単純な「良い」「悪い」では片付かないものがあります。

 

よく、「レスの問題は離婚の要因として認められるのか」という法律的な観点の議論を持ち出して、「だから拒否するのは悪いこと!」みたいな議論を目にすることがあります。確かに、法律論的にはそういう面もあるかもしれませんが、夫婦の仲を立て直したいのであれば、そういう「錦の御旗」を振りかざすことは何の意味も持たないどころか、逆に相手を追い詰めて溝を深めてしまうことにつながります。

同じように、拒否してしまう原因を、パートナーの側だけに押し付けて「だから私が正しい」という主張だけをすることは、以前書いたように「ハラスメント」「DV」と同じことだと思います。もちろん、だから無理にでも受け入れろ、というつもりはありませんが、「自分がなぜパートナーのことを受け入れられないのか」に、真剣に向き合い、パートナーがどういった点を改善すればよいのか、自分自身は努力できる点がないのか、努力する義務は拒否する側にもあります。

なぜなら今隣にいるパートナーは、最終的にはあなたが選んだ伴侶だから。気に食わないからといって関係を放置する態度は、結婚した相手に対する義務を果たしているとは言えません。

レスの克服への道筋は、「良い悪い」の二元論を越えたところにあります。まずは相手を攻撃するその鉾を、収めることが大事だと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました