【レス、克服への道】我慢ばかりでは続かない。自己犠牲はほどほどに。

「レス」の克服
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先日、「あたしおかあさんだから」の歌詞が、母親に「自己犠牲」を求めすぎだ!とネット上で大炎上しました。「お母さんとは、こうあるべき」を押し付けるな!と多くの女性が反発を覚えたのでしょう。ただ、こういう歌ができる背景にはやはり「自己犠牲は尊いもの」という意識が強くあるのだろうなぁと感じたりします。

最近は幾分良くなってきたとはいえ、まだまだこの国では「我慢」「辛抱」「忍耐」が良いこだとみなされ、「自己犠牲」が称賛される土壌があるのだなぁと感じます。

そんな風に偉そうに言っている僕も、実は「自己犠牲」大好きな価値観をもった人間です。両親ともに過酷な幼少期を過ごした夫婦のもとに生まれ育ったせいか、「親は子供のことを第一に考え、子供のために身を削り、子供のために辛抱すべし。それが「正しい親」の姿だ」というような価値観を刷り込まれています。実際には聞いていませんが、「あたしおかあさんだから」の歌詞を見たら、「この人は何を当たり前のことをグズグズ言ってるの?」と逆の意味の炎上をすることだろうなぁ、と思います。ですので、僕も日頃から「親は子供のために我慢すべき」と考えがち。

例えば、料理をしておかずの大きさが違っていたとする。子供の好きなおかずの場合に、僕はついつい「子供に大きいのを。自分は小さいので我慢」とやってしまう。まぁ、40代になってダブついてきたお腹回りを触ってみると、それが妥当だと言えないこともないですが。

食べ物くらいのことなら、そんなに大した話ではない。でも、こういう考え方の「癖」というものは、生活の隅々にまで入り込んでいるものなので、気が付かないうちに様々な場面で「子供のために」を合言葉に、自分を抑えるということになっていってしまう。

こうやって「子供のために、自分は我慢する」というのも、それで自分が満たされていればいいですが、そうでない場合にはほどほどにしておいた方がいい、と思います。

特に「拒否をする」妻や夫に、「いい夫(妻)」をアピールしたくて自分の意に沿わない自己犠牲をしている場合。「いい夫(妻)になれば、パートナーがこっちを向いてくれるのではないか」と考えてしまうことって、割と多いものです。しかし、その努力は結局それほど報われることはありません。そしてそうなると、「俺は(私は)こんなに努力しているのに!」と苛立ちを感じることにつながってしまう。ますます、二人の心の距離を遠ざけてしまうことになりかねない。

結局、「子供ため」とか「家族のため」「妻のため」に我慢したことが、自分自身を苦しめ、自分自身を苛立たせ、パートナーや子供にとって居づらい空気を作ってしまう、、、。

思っていた以上に、人間という生き物は「むやみな我慢」は受け入れられない動物のようです。経験から考えると、「目標(ゴール)がある我慢」であれば受け入れられると思いますが、「目標のない我慢」は難しい。そして「レスの問題」のための我慢は、この「目標のない我慢」になりがちなのです。「我慢」の対価を受け取ることができない、それどころか我慢したのに嫌な思いをすることにつながる可能性の方が高い。

拒否する側にとっては、ただでさえ「パートナーとの行為ができない」という大きな我慢を強いられている訳で、それ以外にも見返りのない我慢をし続けることは精神上良くありません。

だからと言って、「わがまま放題してもよい」というわけではありませんが、「むやみな我慢」はほどほどに、自分自身の心を安定させる方が、結果として家族のためになるのかもしれません。

 

 

 

 

 

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