先日、ネットを眺めていたら『「家庭でも主役になりたい」ある父親の叫び』というタイトルが目に飛び込んできました(東洋経済オンライン)。
「???」
何だ何だ?と読んでみると。育休を取得して育児と家事をすることになった男性が、奥さんから「あなたは私のサポートのために育休をとったんでしょ。しっかりサポートしてよ」と言われ、「僕は家庭では主役になれないのか」と悲痛な心の叫びをあげている、、と。
この記事を書いた大学の先生は、この話に絡めて「男性の育休取得が低すぎる!」「女性にワンオペ育児を強いているこの社会はおかしい!」と持論を展開されているわけですが。
まぁ、それはそれで議論の余地はあるとして。この部分にも、思うところはあるのですが、本題から外れるので触れません。
僕はこのご主人の「家庭でも主役になりたい」という部分が妙に心に引っ掛かりました。
「いや、あなたの人生なんだから、誰が何と言おうとあなたが主役じゃないんかいな」と。
それを奥さんに認めてもらえなかったからと言って、そこまで悲痛に感じる必要があるのだろうか、と。
「誰かのため」に生きているの?
多分、僕が「主役になりたい」というこのご主人の主張に引っ掛かりを覚えるのは、自分自身がかつて「自分のために生きていなかった」からだ、と思います。
アダルトチルドレン的な生き方をしてきた方の多くは、親の目であったり、周りの環境だったりを強く意識して生きてきたがために、「自分のため」に生きる、という考えを持つことが苦手だったりします。
このご主人が、そういう方なのかは、記事から読み取ることはできませんが。
ただ、「自分軸」で考えることができていないのは確かなのかなぁと思います。
奥さんから期待されているのがサポート役だろうが何だろうが、あなたが育休をとって育児をしたかったのだったら、それでいいんじゃないの?ということ。奥さんから自分が望んでいるような「感謝の言葉」だったり、「称賛」が得られなかったので、「俺はここまでやったのに!」となってしまったのでしょうけれど。
物事の感じ方は人それぞれなので、これ以上このご主人については書きませんが。
この記事を読んだとき、パートナーから拒否されて苦しんでいるときにも、同じような考え方に陥っていることが、実はあったりするんじゃないのかなぁ、と感じたのです。
ほら。「主人に女として認めてもらえない。だから自分には価値がないって感じる」とか。
「俺はこんなに一生懸命「家族のために」頑張ってるのに、認めてもらえないなんて「何のために頑張っている」のか、分からない!」とか。
どこか、似ているとおもいませんか?
あなたは、「誰のために」生きてるの?
「自分の人生の主役」は「自分」でしかない。
偉そうに言っていますが、僕も以前は同じように「仕事で頑張っているのに、こんな扱いかよ!」と切れていました。「妻にこんな扱いしかされないなんて、俺は不幸だ」「こんな扱いしか受けれないなんて、何のために仕事頑張ってるんだろう?」と。
以前、そんなことをブログに書き立てていたところ、こんなコメントをいただきました。
「家族のため、家族のためって言ってるけど、家族がいなくても仕事は頑張るもんなんじゃないの?家族がいなくても、生きていくためには働かないといけないでしょ?」
残念ながら、当時の僕はこのコメントに納得することができず、腹を立てて消去してしまいましたが、今冷静に考えると、しごくもっともなコメントだと思います。
確かに、家族のために頑張っている部分もあるかもしれません。でも、基本的には生きていくために必要だから働いている。「家族のため」というのは、自分でつけた「意味」でしかない。
妻が(夫が)認めてくれないから、生きている意味がない。自分には価値がない。レスで苦しんでいるときには、そんな風に物事をとらえてしまいがちです。しかしそれは、自分の人生の意義を、パートナーに依存しているということ。それって、自分自身も苦しいし、相手だって苦しいと思う。どちらにとっても、いいことはありません。
あなたの生きている意味は、あなたにしか決められない。あなたの価値は、誰かに言われて決まるものではない。パートナーに決めてもらうものではないのです。
冒頭で紹介したご主人の話ではないですが、周りの誰が「お前は脇役」って言ったとしても、自分の人生の主役は自分以外誰でもない。自分が幸せになれるかどうかを決めるのは、自分自身。パートナーではありません。
そのことに、早く気付いて欲しい。そう思います。
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