【レス、克服への道】ネット上での「共感」に要注意。

「レス」の克服
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以前、妻との関係が揉めていたころに書いていたブログでは、よく妻に対する不満を記事に書いていました。「自分は頑張っているのに」「妻は応えてくれようとしない」というスタンスで、「だから俺って、可哀そうな夫なんだ」と、「だれか同情して欲しい!」という思いが常にありました。「レスの問題と向き合って、解消のための筋道を探す」つもりが、「レスで傷ついた自分に対する同情を求める」ことに変質してしまっていたのだと、今は苦く思い出されます。

レスの問題って、身の回りの人に相談しにくい特性上、同じように悩んでいる多くの方がネット上で情報を求め、発信し合っている上に、「拒否される側」の方は「相手から拒絶」されているという苦しみを負っているためか、どうしても「拒否される側」のブログ記事に自分と同じ苦しみを重ねたり、あるいは「この人に比べればうちはまだマシ」と密かに安心したりしがちです。

そして、ブログを書いている側の方にとっては、自分の感じたことなどを「言葉」の形で自分の外に吐き出すことは、頭の整理につながるし、ストレスの解消にもなる。それに加えて、やはり自分の感じたことに誰かの「共感」を得られることはうれしいことですし、パートナーからの拒否によって大きく損なわれた「承認欲求」を満たすことにもつながるので「良い効果」も大いにあると思います。

ただし。

ネット上で得られる「共感」の世界に、どっぷりはまり込んでしまうことには、少し注意が必要だと感じます。

冒頭、書いたように、以前の僕が書いていたブログは、まさにこの「共感」を得るためのブログになっていました。ですので、基本的には読まれる方のほとんどは「拒否されている」方。時折いただくコメントも、「分かる分かる」といった内容のことが多かったです。そして何度か記事には書きましたが、ごくたまに建設的な「アドバイス」などをもらっても、「そうじゃない!あなたは分かっていない!」と反発をしてしまっていました。

結局、自分が求めていたのは耳障りの良い「共感」の言葉だけだったのだと思います。

先にも書きましたが、この「共感が欲しい」という気持ち・欲求自体は悪くないと思います。

ただ、ネット上で「共感」いや「同情」を集めているうちに、段々と「自分は正しい。パートナーに問題がある」という風に自分自身の意識が強くなっていってしまう。僕は、これが問題だと感じています。

拒否される側が書いている文章というのは、あくまで「拒否される側」の人が感じた主観で書かれています。「拒否する側」の事情や、その状況に至るまでの経緯などについてはあくまで「拒否される側」の方が感じとれた範囲でしか書かれてはいない。言わば、「片方の言い分」だけしか述べられていないわけです。

いろんな方々が訪問してくれて、「いいね!」と言ってくれる。コメントで「奥さん(旦那さん)は酷いね!」と言ってくれる。だから「俺は(私は)間違ってないんだ!悪いのは(拒否する)あの人だ!」となってしまいがち。

そんな状態にどっぷり浸かってしまうと、本来目の前にいるパートナーに意識を向け、相手の言い分を聞くべきところで、それができなくなってしまう。「みんながおかしいと言ってるから、この人がおかしいんだ!」となってしまえば、溝は深まってしまうばかり。そして、本来冷静に反省すべき点があったとしても、それが見えなくなってしまう。

逆のパターンもあり得ます。「あなたがおかしいんじゃないの?」と批判されることで、「自分は価値がないんだ」とか、「自分に問題があるんだ」と必要のない「自分責め」で自分自身を傷つけてしまう。。。

ごく当たり前のことですが、ネット上の「意見」というのは、あくまで読み手の意見でしかありません。あなたの書いた文章から、相手が感じ取った範囲で相手が感じたごく狭い視野での「意見」でしかないのです。レスで悩んでいる、心が不安定な状態では、そのことを忘れてしまいがちです。

「酒は飲んでも飲まれるな」とよく言いますが、ネットからの「共感」にも、同じようなことが言えるのかもしれません。本来、語り合い、向き合うべきは目の前にいるパートナーであることを、頭の片隅に常に置いていて欲しいと思います。

 

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