【レス、克服への道】子供の頃に封印した「自分」の行方(3)

「レス」の克服
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身から出た錆。まさにそんな感じ。自分自身で振り返ってみて、何だか「駄々っ子」が自分でも訳が分からなくなって暴れているような、そんなこの10年だった。子供の頃に手がかからなかった分、大人になってから暴れた感じだ。それに付き合わされた妻には本当に申し訳なく思う。そりゃぁ、受け入れたくも無くなるよなぁ、と。

仕事からは強制退場となり、妻に嘘で塗り固めていた自分像が露見した後も、僕が「本来の自分」に気付くまではまだ半年ほど待たねばならない。その間、専業主夫をしつつネットビジネスで生計を得ようとか、これまでと全然違う仕事をしてみようか、などとまだまだ甘いことを考えていた僕は、仕事を辞めて一月ほど一生懸命考えてみても、自分が何を望んでいるのかが分からないことに焦り始めていた。自分が何をしたいのかがサッパリ分からない。そのうち、疲れてきた。そして結局、「日曜を休めること」と、「そこそこの給料がもらえること」、そして「今持っている資格で応募できること」を加味して、今の会社に就職した。仕事の内容より何より、「休みの日に家族といられる」ことくらいしか、自分が望むものを見出せなかったのだ。

現場監督という仕事は、自分自身で手を動かす仕事ではないため、実は結構、物事を考える時間がある。おまけに最初の数か月間は事務所で書類を作るのが仕事だったから、その合間に、色んなブログを見た。レスで苦しんでいる方のブログも相当読んだが、ひょんなことから、「心屋」さんのブログにたどり着く。そこには様々な事情で生き辛さを抱えた「アダルトチルドレン」たちが、それに気づいて自身を取り戻すお話が日々つづられていた。だが、最初は自分自身にも当てはまるなどとは全く考えてもいなかった。

ある日、そう、突然のある日。帰りの車の中で、自分の子供の頃のことを思い出して、「ひょっとして、俺も色々我慢していたのかなぁ」と独り言をつぶやいたら、急に涙が止まらなくなった。最初は、なぜ自分が泣いているのかも分からなかった。そして、自分がいかに自分自身を抑圧してきたのかに気付かされたのだった。

僕の両親は、子供のことを常に優先する「いい両親」だ。だから今まで、親がしてきてくれたことに疑念を抱くことなど、「してはいけないこと」と封印してきたのだった。でも、子供だった僕にとっては、自分を抑え込んで「良い子」を演じていた日々は、大人になった自分自身を迷走させるほど、重く苦しいものだったのだ。

その出来事があってから、いきなり事態が好転した訳ではない。40年にわたって「良い子」を演じてきた「良い子ぶる思考の癖」はなかなか治らない。しかし、少しずつではあるが、自分が「どうありたい」のか、が分かるようになってきたのが、この2年ほどだ。子供のころに封印していた「やりたい事」を趣味としてするようになった。仕事も、定期的に休みがあって、そこそこ収入があって、数字に追われずに物作りに携われれば良かったのだと、今となって気が付いた。

先日記事にしてきたとおり、今、ようやく妻との関係も修復できつつある。色んな過程をたどってきたが、自分自身が抱えている問題にもっと早く気付くことが出来ていれば、と思う部分は大きい。この記事を読んで、似たような誰かの気付きになれれば良いとつくづく思う。

 

つづく

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