【レス、克服への道】解消でもなく、改善でもなく。「レスの克服」

「レス」の克服
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年ほど前、僕達夫婦がレスの問題で苦しんでいた最後の頃、僕は「レスの問題を解消する」んだ、と思って色んな情報を漁り、日々ブログの記事を書き、この問題と向き合っていた。しかし、なかなか状況は良くならなかった。良くなったかなぁ、と思ってはまた振り出しに戻る、の繰り返し。そんな日々に、いつしか疲れてしまった。そんな中、妻がパートタイマーからフルタイムになってそれどころではない、という状況になって、僕の方にも「諦め」の二文字が浮かぶようになった。

自分の望む「性生活」はもう手に入ることは無い。別のパートナーを探すべきか。でも子供とは離れたくないし、子供から母親を取り上げることも出来ないから、別れることも無理。だったら、自分が持っている夫婦の理想像など諦めて、日々をどう自分にとって良いものにしていくか。そう考えて生きていこう。そんな風に考えるようになったのが、1年半ほど前。

「夜の営み」は最初から「無いもの」として考え、「あるかも」という期待は持たずに、必要だと思えば積極的に、映像や画像をしっかり楽しみながら「処理」をする。以前のように、「出来ないから自分で」ではなく、「気持ち良いことをしよう」という意識で。妻が気を遣って「営み」があったなら、「ありがとう」と感謝するようになった。

日々の生活の中で、妻の機嫌が悪くても、別にいいやと考えるようになった。イラついているのなら、どうぞ。正面から向き合うのではなく、かわす。受け流す。自分に対して何か怒っている、と感じられる時には、「何に怒ってるの」と聞くようになった。喧嘩になったとしても、聞いた方がお互いスッキリするから。

子供に対する叱り方も、以前は「そんな言い方しなくても」とこちらもいちいちイライラしていたが、「妻と子供の関係だから」と冷静に見れるようになった。口も横から挟まない。一方で、自分が叱っているときに横から入って来られたら、そのまま委ねることにした。後で別の機会に話せばいい。今「口を挟むな」って言ったって、どうせ聞きゃあしないんだから。

休日の食事の準備が、いや、献立を考えるのが億劫そうな妻を見て以前は苛立っていたのだが、それなら自分がやればいいと休日の食事作りをするようになった。やっているうちに、感覚も戻り、「おいしい」と言ってもらえると励みにもなる。もともと学生時代には「料理が趣味」だと言っていた自分を思い出した。

そんな風に過ごすようになって半年ほど経つと、もう「付き合い」でする「営み」なら、しなくてもいいや、という気分になってきた。気持ち良くさせなきゃ、という強迫観念も薄れてきて、何なら「入れなくてもいいや」とまで思うように。これが、半年前くらいのこと。

その後、前に記事に書いたように、家計のことに積極的に関与するようになり、お弁当を毎日作るようになり。そのためにキッチンの片づけを積極的にするようになった。

家計のダイエット大作戦のその後 ~お弁当作りがもたらしたもの(3)

滞りがちだった毎日の家事が、流れ始める。目に見えて減った食品ロスと自分のストレス。妻の機嫌も、以前に比べてずっと良くなった。自分に対して気を遣ってくれるようになった。子供が寝た後、二人で話をする時間が増えた。

「営み」の頻度は増えてはいないが、最近、寝る前に手をつなぐことが増えた。妻の手に触れることで癒されるなんて、以前は考えられなかった。こちらから握ることもある。妻から握ってくることもある。もぞもぞと僕の手を探してくる妻を、自然に「愛おしい」と思う。こんなところまで来ることができた。あんなに崖っぷちまで追い詰められていた僕達夫婦が。

きっと、僕達はレスの問題を「克服」したのだろう。

 

つづく

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