「セックス」を特別視し過ぎているのか

「レス」の克服
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今から5年ほど前。妻とセックスのことで一番揉めていた頃。

妻から、「あなたは何をしているときが一番幸せ?」と聞かれて、「(妻と)セックスしている時」と答えたら、妻は物凄く嫌な顔をしました。

そりゃぁそうですよね。自分が「出来ればしたくない」と考えていることを、相手は「一番幸せ」だという。本音がすぐに顔に出る妻のことですから、「うえぇ~!」とでも思ったのでしょう。

過去にも何度も記事に書いてきましたが、当時の僕にとっては「セックスは大事で、それが無ければ生きられない!」と思ってしまうくらいのもの、でした。

でも、その「セックスを特別視している」姿勢が、もちろん相手にとっては重荷になりますし、自分にとっても重荷になる。そんな風に最近は思えてきました。

もちろん、今でもセックスをしている時の気持ちよさや、相手が感じてくれている、自分を求めてくれていると実感したときの幸福感は、大好きですし、その時間はとても大事なことに変わりはありません。

ですが、以前ほどは肩に力が入った状態ではないな、と思います。

セックスレスを解消した人達の体験談などを見ると、お互いの肩の力が抜けた状態になって初めて、「してもいいかな」という雰囲気が生まれるもののようです。うちでも、以前のように「今日はあるのか?明日は?」みたいに僕が構えなくなってから、セックスへのハードルが下がった気がします(頻度は多くないですが)。

巷には、「本当に気持ちいセックス」「最高のセックス」などとセックスを「特別なもの」として考える情報も増えていますが、実際には、もっと肩の力を抜いて考えた方が、いいのかもしれませんね。

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