老いてなお、共に歩むためには、、、。

「レス」の克服
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もうすぐ、妻が誕生日を迎え、40歳になります。

20代のころ、二人が40代になってからどのような夫婦でいるのか、その頃までセッ〇スをしているのかなんて、全く想像もしていませんでした。

正直、40代にもなったら、お互いおじさんとおばさんになってて、セッ〇スなんてしたいと思っていないかも、なんて考えてました。

結局、42歳と40歳になっても、まだまだ僕は妻を求めたい。でも、妻はいつまで応えてくれるか分からない。

妻とセッ〇スレスのことで揉め始めたのは、僕が35歳、妻が33歳のころ。

「男として魅力を感じない」、「次、いつ出来るのか分からない」と言われ、「あぁ、俺はこれからセッ〇スなしの人生を歩むか、こいつと別れて他の人を探すかしか道がないんだ」と、真っ暗なトンネルを歩いているような気分で過ごした30代後半。

パワハラで職場を逃げ出し、修羅場に身を置くことでようやく「自分で自分を抑圧していた」ことに気付き、自分のあり様を変えるためにもがいて、ようやく岸にたどり着いた40歳。

この2年間で、ようやく自分自身にも素直に生きられるようになり、妻との関係も多少の波はあっても、どうにかいい感じに収まってきました。

最近、妻とはいつまで「男と女」の関係で居られるのだろうなぁと考えるときがあります。きっとまた、どこかで「転換点」を迎え、「性愛」がなくても「愛情」をもって妻と歩んでいけるように変化すべき時がくるのだろうなぁと。

僕は貧乏で、しかも収入の不安定な家庭で育った影響なのか、今が幸せでもいつか向こうからやってくるであろう「心配事」に身構えてしまうところがあって。

年齢的には、あと10年内にやってくる妻の「更年期」。そしてその頃にちょうど子供たちが反抗期を迎える。お互いの両親もその頃には介護が必要になるかもしれない。

きっと、これまでで一番「夫婦としての絆の強さ」が試される時期が、やってくるのだと思います。

上手く乗り越えられるかなぁ?

なんだか暗い話になりました。

老いてなお、共に歩んでいくためには、一度どこかで「性愛」への執着を脱ぎ捨てて、もう一つ違うステージに進む必要があるのかもしれません。セッ〇スの有無にとらわれない、相手への信頼感と愛情を持ち続けることができるように。

そういう意味では、僕はまだまだそこには達してはいません。まだまだ妻との「性愛」にとらわれているし、そんな境地に至るのは、きっともう少し先のことになるでしょう。

ちゃんと乗り越えられるかな?不安に感じる部分もありますが。

ただ、一度暗いトンネルをくぐり抜けた経験が、きっと次に生きると信じて。

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