【レス、克服への道】レスを克服するために、何よりも大事なこと

「レス」の克服
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パートナー間で「行為」のことが問題になると、どうしても「どっちが悪い」「どこが悪い」とお互いがお互いに「自分が原因ではない、あなたに原因がある」と責め合うような状況になる。相手を責めながらも、「実は自分が悪いのかも」と内心自分を責めていたりもする。

ネット上では、第三者からのコメントに気持ちが乱され、激しい怒りを覚えたり、「自分はダメなんだ」と自分を卑下したり。

レスの問題と向き合うとき、何よりも大事なこと。

「自分で自分を否定しない」こと。

気持ちを「言葉」にして吐き出す、ことの意義。

僕はこのブログを書き始める以前に、レスに関して2つのブログを書き、どちらも自らの手で閉鎖した過去がある。

最初のブログは、書いていたことさえ忘れたいくらい、日々妻に対する不満を書き立てた酷いものだった。他の人から同情してもらいたくて、実際よりも誇張して記事を書いた。その内容が妻の目に触れ、他の要因と相まって離婚寸前までいった。

二つ目のブログは、1年半ほど前まで書いていた。前よりも「レスの問題」について調べ、自分の心のあり方などについても詳しく書いていた。だが、やはり「拒否される可哀想な僕」に同情して欲しい、という気持ちは拭えず、妻を「悪者」にしているのは変わらなかった。やはり妻からすれば容認できる内容ではなく、こちらも自ら閉鎖した。

一時は「人に同情して欲しくて夫婦の事情をネット上に書くなんて自分はおかしいのか」と、自分自身を否定的に見ていた。

だが、今振り返れば、あれは「必要なことだった」と思う。

ああやって、自分の気持ちを外に吐き出さなければ、きっと僕はもたなかっただろうから。

脳の中の「ストレス」は、言葉にして認識することで記憶から消える、と最近知った。自分は図らずも、それをやっていたのだ。

感じたことに、「正しい」も「間違い」もない。

ネット上に気持ちを言葉にして吐き出す。それにはいい効果もあるが、時に大きなストレスももたらす。第三者からのコメントや、非難を受けること。

自分自身が「こう感じた」と書いたものを、他の人が読めば違う風に感じる。書いた意図が伝わらずに思わぬ非難を浴びることもある。「何甘いこと言ってんのよ」と「私の方が辛いぞ」アピールを受けることもある。求めていないのに、「こうすべき」「こう考えるべき」と余計なアドバイスを受けることも。

それらに心動揺し、反応してしまうのも仕方がない。それを無理に止める必要はない。

だが、あなたが感じたことは、あなたが感じたことでしかない。そこに「正しい」も「間違い」もない。他人がどうこう言おうが、それはその「他人さん」が感じたこと。「あぁ、そうですか」としか言いようがないのだ。

 

自分で自分を否定しないようにすること。

僕が以前、営業職として働いていた時、僕のことを否定的に捉える上司の下では成績が上がらず、好意的に捉えてくれる上司の下では好成績を収めていた。思い返すと、笑ってしまうほど顕著に違いがあった。営業は自分に自信がなければ結果が出ないものだが、いつも否定されているとそれが自分への懐疑心や不信になり、そのまま営業成績に表れていたのだろう。

他者からの否定よりも、もっと怖いのが「自分で自分を否定する」ことだ。

「主人を受け入れられないなんて、私はおかしいのか。」

「妻に受け入れてもらえない自分はおかしいのか。」

「性のことでくよくよ考える自分はおかしいのか。」

この問題で悩む方の多くは、こうして自分のことを責める。自分のことを否定する。

これが自身のメンタル的にも、そしてパートナーとの関係上においても、悪い影響を及ぼすのだ。自分のことを否定することで、どんどん自信を無くす。自信が無くなると周りへの対応にも余裕が無くなる。ちょっとしたことでイライラする。そして何より、パートナーのことも否定的に捉えるようになる。相手のちょっとした言動や行動に「悪い意味付け」をして、どんどんマイナスな気分に落ちていく。

拒否する側、拒否される側関係ない。この問題をどうにかしたいと思うのであれば、まずは自分自身を否定するのを止めよう。

 

 

 

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