昨日の記事の最後に、「性に対する意識」について少し触れました。
パートナーとのセックスを渇望している状態のときでも、意外と本人はセックスに対して後ろ向きな価値観しか持っていなかったりするのは、よくあること。
セックスをしたい!ってはっきり言うのははしたない。恥ずかしいこと。
セックスのときに、自分から快楽を得ようとすることは、女として恥ずかしいこと。やってはいけないこと。
性の快楽は、男の人から与えてもらうもので、自分から探求すべきことではない。
「セックスがしたい!」って頭の中で思っていても、実はその横で無意識に「性」のことを否定している自分が居たりする。
以前は、「そんな考えは変えましょう、考えを改めましょう」と思っていました。
でも。
大人になって、30年も40年も生きてくれば、これまでの思い込みを「はい、そうですか」と変えられるものでもない。
性に対する価値観というものは、考えているよりも強く深く刷り込まれていることが多いので。
だから、無理に「”性”のことを考えるのは恥ずかしいことではないですよ。積極的になってもいいんですよ」という風に考えなくてもいい。
そんな「そんな考え方も、あるんだな」とただ、「知る」だけでもいい。
最初は「そんなの無理!やっぱり恥ずかしい(*ノωノ)」でもいい。
「そんなこと、出来る訳ないでしょ!」と腹を立ててもいい。
そこに感じる心のざわつき。そこに感じる違和感。感情。
それこそが、あなたが「性」に対して持っている価値観の片鱗。
それがどこから来たのか、とか何が原因で、とかはあまり今は重要ではないと思う。
「自分は”性”に対して、こんな感情を持ってるんだな」ということを、ただ「知る」こと。
そして、その感情によって隠れている”本音”が分かれば、儲けもの。
「もっと、相手にしてよ!私に構ってよ!」
「一人にしないでよ!私の方をちゃんと向いてよ!もっと抱きしめてよ!」
「女として認めてよ!もっと大事にしてよ!」
そういう、あなたの本音が、「性」への感情の裏に潜んでいることがある。
すぐに見つからないかもしれない。必ずそこにある、とは限らないけれど。

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