拒否する側も「生き辛さ」を抱えていることがある

「レス」の克服
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今回のお盆休みも、例年同様妻の実家に帰省して過ごしたわけですが、妻の実家に行くといつも思わされるのが、妻は「私、出来ないわけじゃないもん!私、何でも出来るもん!」という子供のころの主張を抱えたまま大人になった部分があるなぁということです。

妻には、5歳年上の兄(僕からみれば義兄)がいて、その義兄は運動も勉強もそこそこできた。歳が5歳も離れているので、小さい頃は一緒に遊んでもらおうとついて回っては足手まといにされて、「もうお前、ついてくんな!」と言われていた様子。一緒に遊んでもらっても、ママコ扱いされていたようで、妻ができないことを人一倍認められず、傍から見れば出来ていないことも「出来てる!」と主張するようになったのは、こういった幼少期の環境からきている部分が大きいのだと思います。また、家の中でも自分から前に出て主張しないといけないという環境で育ったために、人を差し置いてでも前に前に出ないと気が済まないようになったのだろうなぁと思います。

一方で、この兄もそうですが、義理の父も、どちらかと言えば口数が少なく「男は黙ってやるべきことをすべし」というタイプ。そこに「かかあ天下」色が強い地域であるというのもあって、義父も義兄も「俺を立てろ」「大事にしろ」みたいな主張はほとんどしない。ですので、妻の中の理想の男性像とは、特段特別扱いしなくても、自分がすべきことを黙々とやって、主張しないことなのだろうと容易に想像がつきます。

また、妻の地元は、今は橋で本州・四国と行き来が可能になりましたが、妻の子供のころまでは船で行き来しないといけない離島でした。島という環境ゆえに親戚つきあいも都会に比べて濃い土地柄、いとこ集団の中でも一番歳が下の方で且つ女の子だったがゆえに、妻はいつも周りから「構われて」育ったようです。家庭の中では年上で勉強もスポーツもできる跡取り息子である兄に引け目を覚える存在でしたが、一歩親戚づきあいの中に入ると何かと構ってもらえ、気にしてもらえる。そのあたりが、家族に対しては相手が不愉快に感じようと容赦なく甘え、気遣いも全然しないのに、家族以外の人に対しては徹底して気遣いをしようとする、「できる子」を主張しようとするのは、こういったところからきているのかもしれません。

お盆休みということで、お互いの実家に足を運ばれた方も多いと思います。何かと気を遣う「帰省」ですが、相手の育ってきた環境を見ることで、相手の性格や、抱えている生き辛さに気付くチャンスかもしれません。ちょっと視点を変えて見てみるのも良いかもしれません。

 

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