結局、妻は土日とも寝込んでしまった。
僕は、妻が「自分でしないといけない」と思い込んでいた用事を済ませていく。税金を払う、クリスマスのケーキとチキンの準備、そして年賀状の宛名印刷。
妻は、どうしても「負けたくない女」なので、妻自身で自分の「素直で恥ずかしい、本当の気持ち」に気付くことが難しい。となると、妻に不満が溜まっている兆しが見えたときには、「この人は本当は何を欲しているんだろう」を推理すると、多少は衝突もマシになるのかもしれない。
しかし、「素直で恥ずかしい、本当の気持ち」と言う点では、僕の中には「言えていない癒えない気持ち」はあるのかなぁ?
ちょっと考えてみる。
多分、僕の中にあるのは「妻にかまって欲しい」「妻に甘えたい」「妻に認めて、褒めて欲しい」なのかな。
どれも、恥ずかしくて言えない一言ばかりだ。
前にも記事に書いたが、僕は子供の頃から「自分で自分のことをする」ことを親から、そして環境から叩き込まれてきた。だから「かまってもらう」「甘える」を自ら求めることは自分の中ではタブーだった。妻に対しても、「手のかからない夫」であろうとしてきた。
でも、、、ひょっとしたら、僕はもっと母に甘えたかったのかもしれない。構って欲しかったのかもしれない。それを、無意識のうちに抑えているのかもしれない。
そして、その代役を妻に求めて、押し付けていたのかもしれない。
大事なのは、まずはそれを自分で認めること。「甘えたかったんだね。」「かまって欲しかったんだね」と、気持ちを否定しないこと。
そうだなぁ。僕は「手のかからない夫」を演じているから、妻からすれば「放っておいてもいい夫」。でも、放っておかれるのが嫌で辛抱できなくなると「かまってくれよ!」と言いたくなって、でも言えなくて。で、他の部分で妻に怒ってみたり、セ○○○を求めてみたり。
「察してよ!分かってよ!」ってなっていた、、、のかなぁ?
その上、妻も同じように「自分でできるもん!」と生きてきた人。同じように「素直な恥ずかしい、本当の気持ち」を言えずに同じように「察してよ、分かってよ!」だとしたら?
僕らは、小さな男の子、女の子。似た者同士、なんだろう。
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