「また、その話ですか?」という声が聞こえてきそうですね。
もう、何度も同じようなテーマで記事を書いてきたので、「その話はもういいよ」という方もいらっしゃることかと思います。
これまでこういうタイトルで記事を書いたときには、「性のことで悩むのに、罪悪感を感じなくてもいいですよ」というスタンスで書いていましたが。
今日は、ちょっと違う角度から。
夫婦間のセックスの有無や、セックスで感じることが出来ない、とか、痛くて出来ない、とか、奥さんが嫌がる理由が分からない、とか。
一言に「性のこと」での悩みと言っても、その悩みの角度って人によって様々。
もちろん、悩むことに「罪悪感」を感じる必要はない、というスタンスはいつもと変わりませんが、ほとんどの方は「こんな悩み、無くなってしまえばいいのに!」「早く解決して、楽になりたい」とお考えじゃないかと思います。
ただ。ただね。「性のこと」に関する悩みを感じられる今の状態というのは、逆に言えばそこを気にする余裕がある状態だ、ということ。
それ自体は、決して悪い状態ではないんじゃないかな、そんな風にも捉えることが出来ます、、、よね?
僕は、「性」に対する関心が人の数倍高いんじゃないかなぁ、と思っていますが、こんな僕でも、ほとんど「性」に関心が向かない状態になったことがありました。
それは、 慣れない営業職としてUターン転職し、数字とお客さんからのクレームに追われるようになったとき。あの時は、自分でも信じられないくらい、そのことを考える気分になれなかった。
性に関心が向く、性のことで悩む、というのは生存を脅かされるような状況ではない、ということの現れかもしれません。そう考えれば一概に「悪いこと」と見なす必要はない訳で。
それと、ここからはいつも書いている話題になりますが、「性の悩み」というのは、それまで気付かなかった「自分の心の問題」を炙り出してくれます。
僕の場合は、幼少期からの「過剰な我慢、過剰な自意識」に目を向けるきっかけになりましたが、他にも「親との問題」であったり、「過去の性にまつわる問題」であったり、普段満ち足りて生活しているときには気づきにくい「心の問題」に気付くチャンスだったりします。
上手いこと解決していけば、それまで感じていた「生き難さ」のようなものを解消することにもつながる。
その問題のみに意識を囚われてしまえば、見えないものもあります。ピンチをチャンスに変える。そんな意識で考えれば、「性の悩み」も、悪いものではないのかもしれません。

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