今回、「シャツの襟の黄ばみ」で僕が苛立ってしまったのには、いくつかの伏線がありまして。
もちろん、昨日書いた、妻の「やるやる詐欺」に苛立っていたのももちろんなんですが。
妻は、「人のやること」には本当にこちらが嫌になるくらい横から口を挟んできます。
僕が料理を積極的にするようになってからは、料理では勝てないとばかりに、特に洗濯物に関して、色々とダメ出ししてきます。
これとあれは一緒に洗ってはダメ、干し方が、畳み方が違う、etc…
それも「やってもらってありがとう」はなく、ダメ出しが始まる。
そのくせ、子供が「着る服がない!」と言ってくるほど、洗濯を滞らせたりするので、こちらも手だしをせざるを得ない(しかも、なぜか子供たちは僕に言ってくる(#^ω^))
そう、洗濯物は僕ら夫婦にとって「火薬庫」。または「地雷原」。
そんな風に、日常的に「洗濯物の恨み」が溜まっている。
そこに来て、シャツの襟汚れ。これは普段着ないワイシャツの話だけではなく。
普段着のシャツも、夏用、冬用、季節を切り替えようとすると黄ばみがすごくて。薄い色のシャツは軒並み着れない状態になっている。
自分でやればいい話なんですよ。確かに。それはそうなんですが、妻は「洗濯奉行」よろしく、いつも偉そうに言ってるのに、その結果がこれかい!とやはりついつい思ってしまう。
それに。
営業マン時代、僕は毎日ワイシャツを着る必要がありましたが、その期間、アイロンがけはほぼほぼ自分でやっていました。
恐らく全回数の98%くらいは自分でやってたんじゃないかな。
なのに、その2%をもって妻は、「私だって、やってあげた時期があるでしょ!」とくる。
僕にとっては、ワイシャツは「妻に大事にされていない」ことを象徴するようなアイテム何です。これも「地雷」かな。
結局、僕の本心は「妻に色々と世話を焼いてもらいたい」のに、そうしてもらえないことへの不満を少しずつ溜めてしまっているのだろうなと思います。
普段は「この妻といる以上、仕方ない」と思っているのが、ときどき炎を立てるのでしょう。
それでも、今回は「煙」くらいで収めようとしていたんだけどなぁ。いや、煙すら立てないでおこうとしていたのに。自分で洗って綺麗になってくれていれば、揉めなくてよかったのに。
普段着のシャツは、抜かりなく洗おう。
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